2011.07.12 - 城田憲子 x 都築章一郎 对谈 - 羽生部分

都築氏・城田対談全文

城田憲子の「フィギュアの世界」: 日本のメダリストのコーチたち~都築章一郎編(5)
スポーツ報知  2011年7月12日23時23分   
http://hochi.yomiuri.co.jp/column/shirota/news/20110712-OHT1T00287.htm

羽生部分节录--

 都築「はい、新松戸の後に仙台にもダイエーのリンクができるというので、まず長久保を派遣したんですよ。そこで彼は本田武史に出会って、荒川静香に出会って、彼らが仙台から育っていった。あの当時も、ロシアのコーチに仙台に行ってもらったりして、いい形で交流も続いていきました」

 城田「ダイエーのリンク、新松戸に続いて仙台でもいい選手を輩出し続けていきますね」

 都築「やはりダイエーの中内功さんのバックアップは大きかった。ありがたいことです」

 城田「2つのリンクの選手たちがあまりに優秀なので、フィギュアスケート界はしばらく、ダイエー天下が続いたくらい(笑)」

 都築「仙台では、ロシアからさらに世界に目を向けて米国の振付師、ロバート・ダウを呼んで指導を受けたりもしていました。若い頃の本田のプログラムがロバートの振振り付けですね。長久保はじめ仙台のコーチたちも非常に頑張って、どんどん世界の空気を日本に入れていこう、と。そんなふうに次の世代につながっていったことは、私の一つの宝だな、と思っています。世界のたくさんのコーチに出会って、教えてもらって、その流れを自分の選手たちも受け継いでくれて、みんながコーチとして活躍して…。さらに新しい世代の子どもたちも、いい流れの中で頑張ることができています」

 城田「みんな先生の、反骨精神からスタートしたこと。おっとりしたお坊ちゃん、お嬢さんが多いフィギュアスケート界では、なかなか先生のようにがむしゃらにやる方はいなかったな、と今は思うんですよ。そしてその流れの中で育ってきて今、先生が臨時コーチ的に教えているのが、羽生結弦選手」

 都築「そう。彼がノービスのころまでは僕も仙台にいましたので、少し練習を見ていたんです。それが今回、未曾有の出来事(東日本大震災で仙台のリンクが被災し、現在閉鎖中)があって、今、僕が教えている東神奈川のリンク(神奈川スケート)に来ることになりまして」

 城田「彼は本当に、リンクがなくなったからといって、絶対にあのまま終わらせてしまってはいけない選手。私も今まで選手たちを見てきて、いいな! と思ったのに伸び切らなかったもったいないスケーターがたくさんいましたが。でも彼は、そんなことになったら絶対にいけない。もう動きからして半端ではない、極上の選手ですよ」

 都築「はい、私もたくさん選手を見てきましたが、羽生くらいすべてが整っている選手はいない、と思っています。それほどの選手です」

 城田「ですから、きちんと環境を整えてあげて、スポンサーも探してあげなくては。氷の上できちんと戦っていけるように、指導者にしても振り付けにしても、どんどんいいものに接するチャンスを与えてあげなくちゃいけないと思うのです」

 都築「本当に、またかつてと同じように、日本の皆さんみんなの力をお借りして、なんとかみんなで羽生を育ててもらいたいな、と思っています。今、かつて佐野に言ったことと同じことを、羽生に言ってるんですよ。『おまえは世界に羽ばたくんだよ!』と(笑)。今になってまたそんな言葉がかけられる選手が出てきてくれて、私は幸せなコーチだな、なんて思いながら、彼の練習を見ているところです」

 城田「今回はロングインタビューありがとうございました。都築先生のますますのご活躍を期待しております」(この項終わり。次回は長久保裕氏)