2014.03.29 - sportsnavi - 羽生結弦、逆転優勝を生んだ“怒り”の力 壮絶な死闘制し、史上2人目の3冠達成 (大橋護良)

全身全霊を懸けた『ロミオとジュリエット』

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キス&クライで珍しく感情を前面に出し喜んだ羽生。この様子はいかに今大会が厳しかったかを物語っていた【写真:ロイター/アフロ】

 自身の得点が発表され、暫定首位の町田樹(関西大)を上回ったことが分かった瞬間、羽生結弦(ANA)は、キス&クライで両手を挙げて飛び跳ねた。日ごろは冷静な五輪王者が珍しく解き放った感情。それはいかにこの戦いが厳しかったかを物語っていた。
 3月28日に行われたフィギュアスケート世界選手権の男子フリースケーティング(FS)は、ソチ五輪金メダリストの羽生が191.35点をマークし、合計282.59点でショートプログラム(SP)3位から逆転優勝を飾った。
 演技直前までは苦しい状況に追い込まれていた。26日のSPでは4回転トゥループの転倒が響いて3位スタート。首位の町田には6.97点差をつけられた。FSでも前に滑った町田が自己ベストを大きく更新するスコア(184.05点)を出し、逆転には191.02点以上が必要だった。羽生のパーソナルベストは昨年12月のグランプリ(GP)ファイナルで記録した193.41点。つまりはそれに近い演技を披露しなければ頂点への道は開かれなかったのだ。

 しかし、19歳のチャンピオンはその難題をクリアした。演技冒頭の4回転サルコウ。今季ISU(国際スケート連盟)主催の大会では1度も成功していない大技だったが、バランスを崩しながらもなんとか着氷すると、続いて2日前にはミスした4回転トゥループもなんなく成功させた。これで流れをつかんだ羽生は、3回転フリップこそエラーを取られたものの、キレのある滑りで大観衆を魅了。最後はリンクに倒れ込むほど全身全霊を懸けて、『ロミオとジュリエット』を演じ切った。
「FSの時間が短く感じました。実際に耐えるシーンもいっぱいありましたし、完璧ではなかったと思うんですけど、今季最終戦でこのプログラムを最後まで立って演じることができたことをうれしく思います」

ソチで味わった悔しさがモチベーションに
 逆転優勝できた最大の要因を「意地と気合い」と答えた羽生。五輪で頂点を極めながらも、さらなる高みを目指す意欲は増すばかりだ。モチベーションの1つには、ソチで味わった悔しさがある。SPは前人未到の100点超え(101.45点)を果たしたが、FSでは4回転サルコウの転倒をはじめミスを連発。優勝を争っていたパトリック・チャン(カナダ)の不調に助けられ、金メダルこそ獲得したものの、自らの力でつかみ取ったというより、転がり込んできた戴冠と言っても過言ではなかった。
「優勝したという結果については誇らしく思っていますが、はっきり言って自分の演技には満足していません。自分の能力、自分の実力を大きな舞台で発揮できなかった。やっぱり緊張しましたし、あらためて難しい舞台だと痛感させられました」
 演技後の会見は、とても優勝者のそれではなかった。笑顔もあまり見られず、悔しさが入り混じった複雑な表情を浮かべていた。五輪終了後、一度は日本に戻ったが、すぐに拠点としているカナダに帰ったのも、その表れだろう。翌月に開催される世界選手権に向けて、一刻も早く練習を開始したかったのだ。

 羽生を指導するブライアン・オーサーコーチも驚いたという。
「ユヅルが思っていたより早くカナダに帰ってきて、結構びっくりした。しかも次の世界選手権に対するモチベーションが非常に高かった。いわゆる五輪からの“時差”というものを感じさせず、トレーニングに集中してくれたことは、私にとってもうれしかった」
 大会前の公式練習では4回転サルコウを成功させるなど好調を維持。GPファイナル、五輪、世界選手権の3冠獲得へ視界は良好だった。


SPはまさかの3位「今ここにいる自分が許せない」

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「絶対の自信を持っていた」4回転トゥループで転倒するなど、SPは3位発進。演技後の羽生は浮かない表情を見せていた【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

 しかし、落とし穴が待っていた。今季、次々と記録を塗り替え、五輪では100点超えを達成したSPでまさかの3位発進となってしまったのだ。それも「絶対の自信を持っていた」4回転トゥループで転倒するというおまけまでついた。その他の要素をミスなくまとめ、91.24点をマークしたが、羽生の水準からしてみれば満足できる得点ではなかった。
「いつも通りの感覚でやれましたが、4回転トゥループの失敗に関しては悔しさが残ります。練習でもSPの4回転トゥループはミスなくできていたので、そこにちょっとした過信や気の緩みがあったのかなと思います」
 五輪チャンピオンとしてのプレッシャーもあったのだろう。4回転は技術、メンタル、タイミングのすべてがかみ合わないと跳べないジャンプ。ちょっとした誤差でミスをする確率は一気に高まる。過信、慢心、緊張といった心の問題が、転倒という失敗を誘発したのは間違いない。

 上位3人による会見では、首位の町田が中央に、羽生はその左に座った。久しぶりに“指定席”を譲った悔しさが込み上げたのか、羽生は珍しく語気を強めた。
「五輪のFSは全然うれしくなかったので、今大会に向けて一生懸命練習することができたんですけど、実際はこうやってミスをしてしまい、3位という順位にいます。今ここにいる自分が許せないので、あさってに向けて過去よりも今をしっかりつかみ取りたいと思います」
 羽生の表情に浮かんでいた感情は“怒り”だった。五輪の失敗を取り返すべく臨んだ世界選手権。気持ちのコントロールに関しては、とりわけ今季は気をつけてきた。にもかかわらず、過信を招いたのは自分の甘さに他ならない。負けたくなかった。絶対に勝ってやると思った。自分への“怒り”が闘争心に火をつけた。

“怒り”を解放することで勝利をつかむ

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「意地」と「気合い」で演技した羽生は、“怒り”を解放することで、勝利をつかみ取った【坂本清】

「意地を見せなければ、追いつけない点差だったので、本当に気合いが入ったし、楽しかったです」
 FSの演技後、羽生は「意地」と「気合い」という言葉を何度も繰り返した。追い詰められた状況を打破するには、とにかく強い気持ちを前面に押し出すしかない。転倒しそうになった4回転サルコウで持ちこたえることができたのも、気持ちによる部分が大きかった。
 羽生は今大会を通じて学んだことがある。
「どんなことも楽しむことが大事だと思うんですけど、時には『絶対に勝ちたい』とか、『負けてたまるか』という怒りの感情に任せてしまってもいいんじゃないかなと。楽しむ気持ちはすごく良いものだと思うし、気持ちもプラスになって集中にもつながる。ただ、それよりも自分の気持ちに正直になったほうが時にはいいのかなと思います」
 羽生は今季、チャンと何度も対戦する機会に恵まれた。世界選手権3連覇中で、自分より先を走るチャンに追いつこうと必死だったが、意識しすぎたがゆえに、自身の演技に集中できない時期があった。だが、オーサーコーチの助言もあり、感情をコントロールする術をつかむと、一気にスコアを伸ばしていった。五輪で金メダルを獲得できたのも、こうした揺るがぬ精神力があったからこそだ。しかし、今大会は自身の中で渦巻いていた感情、つまり“怒り”を解放することで、勝利をつかみ取った。

 オーサーコーチは今後の指導方法に思いを巡らせる。
「ユヅルは本当に独特なメンタリティーの持ち主。私はまだ彼がどう考えているのかを発見するプロセスの中にいると思っている。彼にとって最も適切なやり方はどういうものなのか。それを常に開拓していかなければいけない段階に来ている」

 3冠達成はアレクセイ・ヤグディン(ロシア)以来、史上2人目の快挙。絶対王者への道筋をまた1つつかんだ恐るべき19歳は一体どこまで強くなっていくのだろうか。

 

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