2016.03.30 - web sportiva - 羽生結弦、世界選手権へ。前日練習での乱れは「吉兆」の表れ

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi  能登直●撮影 photo by Noto Sunao

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SP前日の公式練習で笑顔を見せる羽生結弦 
 ボストンで開催されるフィギュアスケート世界選手権。3月28日、午前と午後の2回の公式練習では4回転ジャンプがノーミスだった羽生結弦。翌29日夕方のドロー後の囲み取材では、落ち着いた表情を見せていた。
「練習と本番は違うけど、自分の中でも『ああやればいいのかな、こうやればいいのかな』というのがピタリとハマッてきている感じがあるので、油断せずに、自分がやるべきことを明日に向けて、そしてフリーに向けてやっていければいいかなと思います」
 全日本選手権を終えてからここまで、練習に集中してきた。
「GPシリーズの時期とは違い、時間が十分ある中で計画を立てた練習ができた。今はNHK杯とはまた違った感覚で試合に臨めているし、それがうまく機能していると、昨日の練習で思えた」
 ここまでの練習は、迷いがなく、しっかりターゲットを絞れたものだったとも言う。
「4回転ループはもちろん練習していたけど、自分の中ではけっこう早い段階で、プログラムに入れるのはやめようと思っていました。もし4回転ループを入れるとしても、その構成を考えている中で、最初にループを入れた場合、今までやっていた次の4回転トーループの入り方で4回転サルコウが入れられる。また、後半の4回転トーループのところに4回転サルコウを、同じように入れられるか。そういうのをいろいろ組み換えながら試してきました。
 その中で、サルコウの方が安定してきたというのもあったし、今、曲の音を意識してプログラムの完成度を意識している中で、後半の曲のリズムがサルコウの方に合っているなという感覚もあったので、後半に入れる4回転はサルコウに変えました」
 こう語るように、今回、羽生はフリーでは最初にサルコウとトーループの4回転を入れ、後半は4回転サルコウに3回転か2回転のトーループを付けた連続ジャンプとする構成に変更した。これにより基礎得点も少し高くなる。すべては技術的に少しでも進化したいという思いからだ。
 それとともに、一方では演技としての完成度を上げたいという欲求も強い。ジャンプだけではなく、他の要素や表現力の向上も意識している。
「今シーズン、あれだけの点数を出してNHK杯やGPファイナルでは満足して帰ったあとでも、自分で見直してみて完璧といえる演技になっていなかったと思うので……。たぶんその時によって、完璧というのはまったく違うものだと思うけど、今は、今の自分の完璧というものを目指してやっていきたい。その点では2シーズン目になるショートの『バラード第一番』という曲も、フリーの『SEIMEI』という曲も、今の自分が今、滑る、ということだけだと思います」
 300点超えを期待されている現実にも、「そういう環境は自分にとって雑音でも何でもない」と言った。

 だが、その後に行なわれた前日練習では、羽生の演技に少々、乱れが出た。
 夜の公式練習は曲かけで行なわれる。曲がけを前に登場した羽生は、いつも練習で最初に跳ぶ3回転ループがパンク。2回目も同じ結果になり、気持ちを取り直して跳んだ得意なトリプルアクセルも両足着地になった。曲かけのために気持ちを盛り上げようとしたが、逆に早く盛り上げようとして気持ちが空回りしたように見えた。その後に跳んだ4回転トーループ+3回転トーループはきれいに決めたが、4回転サルコウは回転し過ぎとなり、着氷したあとで転倒。不安を残しての曲がけとなった。
 結局、曲がけでは冒頭の4回転サルコウはきれいに決めたが、次の4回転トーループはパンクして2回転に。さらにその後もデニス・テン(カザフスタン)と接触しそうになって演技を中断。その後のステップでは感情を表に出す滑りをしたが、終盤でまたテンと接近して演技を中断する不運に見舞われた。
 曲がけ終了後の羽生は、しばらく間を置くと、3回転ルッツと3回転ループを跳んだ後に、トリプルサルコウからの3連続ジャンプを決めた。だがそれだけでは気持ちの切り換えができなかったのか、2歩ほどの助走でトリプルアクセルからの3連続ジャンプを決めると、さらに4回転ループに挑戦した。その4回転ループは2回失敗。3回目になってやっときれいに決めることができた。

 最後に4回転+3回転のトーループ連続ジャンプを決めた羽生は、練習時間を15分以上も残しているにもかかわらず、ジャンプをやめてスケーティングの練習に切り換えた。気持ちが入り過ぎて空回りした自分の心を何とか静めようとするための、短い助走からのトリプルアクセル、3連続ジャンプであり、4回転ループへの挑戦だったのだろう。
 そんな乱れた羽生の表情を見たからこそ、期待が大きくなったのも確かだ。
「特に王座を奪還するということを意識しているわけではないですね。もちろん昨シーズン、銀メダルにとどまったことが練習への原動力になったし、今シーズンこうやって戦ってきた中での原動力になっています。ただこの試合だからこそ金メダルを獲りたいという風に思っているのではなく 毎試合毎試合、同じように最高の結果を目指しているだけです」
 調子のよさ自体は公式練習の動きからも見て取れた。冒頭の4回転サルコウ前後の滑りは、キレだけではなく力強さも加わったものだった。さらにステップシークエンスは、ただ踏んでいるだけではなく、丁寧さに加えて力強さと粘りを強く感じさせる滑りとなっていた。
 前日の公式練習で不満を感じたからこそ、本番では納得のいく演技を見せてくれるのではないか。羽生結弦という選手だからこそ、前日のわずかなミスが、むしろ次への期待をかき立てる要因となった。

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