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2017.04.19 - web sportiva - つながる金メダリストの系譜。 荒川静香と羽生結弦が語る「五輪の記憶」

スポルティーバ●文 text by Sportiva 能登直/仙台市●撮影 photo by Noto Sunao
 4月16日、日本のフィギュアスケート発祥の地とされる宮城県・仙台市で、共に五輪で金メダルを獲得した荒川静香と羽生結弦の功績を称えるモニュメントの除幕式が行なわれた。

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 仙台市の地下鉄東西線・国際センター駅前に建てられたガラス製のモニュメントには、2006年のトリノ五輪でレイバック・イナバウアーを滑る荒川と、2014年のソチ五輪フリーを終えて右手を突き上げる羽生の姿が刻まれている。除幕式に出席した荒川は、「すごく光栄です。スケートをやってきたことを見て知ってもらえることが嬉しい」と笑みを浮かべ、羽生は「モニュメントを見たスケーターの中から、新たな金メダリストが仙台から生まれることを心から願います」と期待を述べた。
 除幕式の後のトークショーでは、それぞれが出場した五輪の記憶を語った。
 仙台市出身のふたりの原点は、数々の名選手が育った「アイスリンク仙台」。1998年の長野五輪にも4人の選手を送り出し、地元のフィギュア熱が一気に高まることになった。当時、高校1年生で五輪代表メンバーのひとりに名を連ねた荒川。結果は13位だったが、「そんなにがっかりはしませんでした。当時は海外勢の壁が厚くて出場枠がひとつしかありませんでしたし、その枠を取れた嬉しさはありましたが、その先はあまり考えていなかったので」と振り返った。

 その後、「20歳での引退」を考えていた荒川は、2002年のソルトレイク五輪を集大成に競技から離れるつもりだったという。しかし、「悔いのない演技をして終わりたい」と練習を続けるうちにスケートの魅力に引き込まれ、ソルトレイク五輪出場を逃した後も第一線で戦い続けた。そして、24歳で代表の座を勝ち取ったトリノ五輪では、大会直前のプログラム変更をものともせず、ショートプログラム(SP)終了時点で上位選手と僅差の3位につけた。
「優勝を狙うにはいい順位だなと思っていましたし、すごく調子もよかったので気持ちは楽でした。フリー当日の公式練習では、自分の予定しているプログラム以上のものを練習していたんですが、それを見た他の選手に『それを全部やられたら困る。失敗できない』というプレッシャーを与えられたんじゃないかと思います。オリンピックはそういう心理戦の場ですから」
 冷静にフリー本番を迎えた荒川は、他の選手がミスを重ねる中で完璧な演技を披露。日本フィギュアスケート界に初めての金メダルをもたらした。

 そんな荒川の活躍に「勇気づけられ頑張ってこられた」と話す羽生は、日本男子のエースへと成長を遂げて2014年のソチ五輪に出場した。「ジンクスも考えた」という荒川と同じ青の衣装で臨み、SPで首位に立つ。しかし、翌日のフリーを前に五輪ならではの「敵」に直面することになった。
「フィギュアはショートトラックと同じリンクで行なわれたので、フリー当日の朝の公式練習が早かったんです。夜の10時くらいにSPが終わって、ドーピング検査などもあって部屋に戻れたのが深夜の1時。翌日の公式練習が7時くらいからだったので、4、5時間しか寝られないハードスケジュールでした」
 そこに緊張も加わってミスを重ね、自己ベストに程遠いスコアでフリーを終えた。羽生の後には3.93点差でSP2位につけていたパトリック・チャン(カナダ)が控えていたこともあり、演技を終えた瞬間に「金メダルはないな……」と思ったという。結果は、チャンも本来の実力を発揮できずに羽生が金メダルを獲得したものの、「ただビックリという感じ。自分の演技に手応えがなかったので嬉しい気持ちはなく、インタビューでも『悔しい』としか言えませんでした」と当時の心境を振り返った。

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 すでに現役生活を終え、リンクの外から見ていた荒川は、その男子フリーの様子についてこう語った。
「誰が一番自分の演技ができるのかという、ものすごい緊張感がありました。特にメダルのかかったオリンピックの最終グループでは、普段は失敗しない選手でも思うようにいかないものなんです。それでも、羽生選手の演技は素晴らしかったですが、『悔しい』という心情はとても分かります。その借りは、平昌オリンピックの舞台で返してほしいですね」

 そうエールを送る一方で、スケートを始めた当初から羽生の成長を見守ってきた荒川は「一生懸命すぎるとやりすぎてしまうところがあるので、無理だけはしないで、笑顔で五輪の舞台に立ってほしい」とつけ加えた。昨年の世界選手権後、左足靭帯損傷のケガの療養とリハビリに2カ月を費やした羽生も、「身に染みる言葉です。ケガ・病気をしないことが一番効率よく実力を上げるために必要だと、本当に今シーズンに感じました」とその重要さを噛みしめていた。
 来シーズンには、2度目の五輪の舞台に挑む羽生。連覇の期待もかかるが、本人は「ソチの時のほうが『集大成』という気持ちが強かった」と明かす。それは、常に全力で戦ってきたゆえの心境の変化だった。
「4年前のこの時期は、『オリンピックはどんなところなんだろう』とワクワクしていました。今もワクワクはしていて、オリンピックが特別な大会であることに変わりはありませんが、試合を重ねるたびに『オリンピックだけが僕の集大成ではない』と感じるようになってきたんです。次の国別対抗戦も、今の自分の『スケート人生の集大成』という気持ちで臨みます。時間はあまりないですが、しっかり練習していい演技をしたいと思います」
 荒川に勇気をもらい、世界のトップで活躍を続ける羽生。その姿が、あとに続く若いスケーターたちの道しるべとなるはずだ。

sportiva.shueisha.co.jp