2018.02.17 - 平昌冬奥 Day 6 FS 一問一答

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✿ 男子FS後会見 ✿

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羽生結弦、負傷の右足に「感謝しかない」演技後なでる
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994126.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・FS」(17日、江陵アイスアリーナ)

 SP首位からトップを守って66年ぶりの五輪連覇を果たした羽生結弦(23)=ANA=が心境を語った。

 -気持ちを。
 「とにかく沢山の方々がサポートしてくださって、なんとかこうやって…。まず滑ることができたので、この会場で滑ることができてほっとしているのと。自分がやり切れたなと思うぐらいの演技が出来たことが、まず良かったんじゃないかなと思います」

 -演技直後にほえた。
 「とにかく本当に右足が頑張ってくれたなと思いますし、けがのことについても、もちろん、けがのせいで練習できなかったところも含めて、たくさんの人に心配をかけたと思います。今まで以上の強い応援があったし、サポートもあったと思うので」

 -演技後右足を触ったのは。
 「感謝です。感謝の気持ちだけです」

 -怖さもあったのでは。
 「まず構成がまだ定かじゃなくて、構成どうですかとずっと質問されていたんですけど、自分自身もどうしたらベストか分からなくて、いろいろ悩んでもいたんですけど。ちょっとフリーの方はイメージしづらいところもあったりして。最終的には集中して跳びたかったジャンプは跳べているので。とにかく良かったと思います。(最後の3回転ルッツをこらえ)右足に感謝しかないです」

 -ファンにメッセージを。
 「本当にここまでくるのに、たくさんの方々に支えられながら生きてきました。スケートだけじゃなくて、羽生結弦としてたくさんの人に育てていただいたことを感謝します。ありがとうございました」

★★★

【一問一答】羽生結弦「勝たないと意味ない」終わった瞬間に「勝ったと思いました」
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994753.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・FS」(17日、江陵アイスアリーナ)

 66年ぶりとなる五輪連覇を成し遂げた羽生結弦(23)=ANA=が報道陣に心境を語った。演技が終わった瞬間に「勝ったと思いました」と明かし、勝利に徹するため高難度の4回転ループを外し、サルコー、トーループを中心に完成度の高い演技を追求したことを「勝たないと意味はないと自分の中で思っていた」と振り返った。以下、一問一答の要旨。

 -涙の理由は。
 「ソチから応援してくれた人たちも、ジュニアの頃から、ノービスの頃から応援してくれた方もたくさんいて、なによりも家族やチームやこれまで人間としてここまで育ててくれたコーチ、担任の先生とか色んなところで支えてくれた方々含めて、色んな思いがこみ上げてきてました」

-スタミナに不安がある中で構成をどう考えたか。
 「とにかく今日起きた時点で考えようと思ってた。幸いにも僕は色んなオプションを持っていて、選択肢がたくさんある中でこうやって臨めたのは、ある意味ケガしてしまったからこうやって色々考えられるというのもあったと思うし。ある意味こうやってスケートができなかった期間があったからこそ、作戦ということを学び、こうやって勝つためにここにこれたというのもあると思います」
 (続けて)「前半は丁寧にいった。6分間練習でサルコーが不安だったので、とにかくサルコーさえ降りれば前半の感覚で後半跳べると思っていた。何よりも昨日も言ったけど、やっぱりサルコーも、トーループもアクセルもトリプルジャンプすべて何年間もやってきてるので、やっぱり(体が)覚えててくれました」

 -最後の3回転ルッツはよくこらえた。
 「もう右足でやっぱり、ルッツ跳ぶのが1番大変なので、やっぱり右足頑張ってくれたなという思いが強いです」

 -終わった瞬間は。
 「勝ったと思いました。何よりもソチの時は勝てるかなという不安でしかなかったので、今回は何より自分に勝てたと思いました」

 -構成決めたのは。
 「朝です。もう自分で決めました。練習の前に。理由はいっぱいあります」

 -ループは跳びたかったのでは。
 「特に跳びたいとか跳びたくないとかはなく、なによりも勝ちたかった。勝たないと意味はないと自分の中で思っていた。この試合は特に。なによりもこれからの人生にずっと付きまとう結果なので、本当に大事に大事に結果を取りにいきました」

 -連覇の重圧は。
 「特に。とにかく連覇とかそういうのじゃなく、この試合に勝ちたいと思っていた」

 -キャリアの中でどんな位置付けになるか。
 「う~ん。単純に比較ができないですね。やっぱり。でも今思うのはずっと小さい時から描いていた夢。また、自分の人生設計の中で、ある意味やっと中間点ぐらいにきたと思ってる。そういう意味ではスケートを始めて、五輪で金メダルをとるってエフゲニー・プルシェンコさんを見ながら思っていた頃の自分に、本当にとれたよ、練習頑張れよって、いろいろあるけど、頑張れよっていいたい」

 -プルシェンコを超えた?
 「超えてないです。軽く超えてないです」

 -ソチの金メダルの違いは。
 「あの時は無我夢中だったし、あの時はあの時でいい演技ができたと思ってます。あの時の演技に恥じるものも悔いもない。ただやっぱりミスがあったことは確かなんで、なんとかそのミスを払拭できるような演技ができたことは、今回うれしかったことかなと思う」

 -多種類の4回転への挑戦。
 「それがあったからこそ選択肢があった。ルッツ、ループにずっと挑戦しつづけていなかったら、この構成が落としたといえない。構成を落としてやってきたという自信にならない。やっぱり一つとして無駄なことはないと、改めて実感させられました。なんとか通し練習はやっていました。ただ、やっぱり足の状況もすごく気になっていましたし、足の状況についてはまだ何も話すつもりはないですけど、本当に大変だったので、思ったよりも。最初に診断してもらったじん帯損傷だけでなく、本当に色んなところを痛めてしまっていて、氷上に上がれない日が長かったので、もう体力とかよりもスケートに乗ることへの不安の方が大きかったです」

 -4回転時代を切り開いた。
 「別に僕が引き上げたとは思ってないです。1番最初にやっぱり4回転ルッツの戸を開いたのはボーヤン(金博洋)だし、それから何とか僕も限界を超えようと思って彼を追いかけていただけだし、そしたらみんなも強くなっていって、そしてネーサン(・チェン)という選手が出てきて、そして宇野選手という素晴らしい日本の選手が出てきて、本当に僕は時代に恵まれたスケーターだなと思う」

★★★

ケガ乗り越え連覇…羽生「頑張ってくれた右足に感謝しかない」「やり切れた」「構成迷った」
2018年2月17日 14:45
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000257000c.html

 平昌五輪は17日、フィギュアスケート男子フリーが江陵アイスアリーナで行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23=ANA)は206・17点、合計317・85点とし、金メダルを獲得。五輪男子66年ぶりの2連覇を成し遂げた。先に滑り終え、優勝が決定した瞬間は控室で涙。フリーは着氷で2回バランスを崩したが、持ちこたえ、転倒はしなかった。右足首のケガから、ぶっつけで五輪連覇に挑んだが「右足が頑張ってくれた」「もう右足に感謝しかないです」。演技直後には一緒に闘い抜いた右足首にそっと両手を添えた。

 【羽生と一問一答】

 ――(昨年11月のNHK杯公式練習中に右足首を負傷したが)乗り越えましたね?
 「何とか」

 ――どんな気持ちですか?聞かせてください。
 「とにかく、本当にたくさんの方々がサポートしてくださって、何とかこうやって、まず滑ることができたんで。まずこの会場で滑ることができて、ホッとしているのと。あとはもう本当に自分がやり切れたなと思うぐらいの演技ができたことが、まずよかったんじゃないかなと思います」

 ――演技直後の吠えた、あそこにいろいろなものが凝縮されているように見えました。
 「とにかく本当に右足が頑張ってくれたなと思いましたし、ケガのせいで練習できなかったところも含めて、いろいろたくさんの方に心配をかけたと思います。そういった意味では、今まで以上の強い応援、サポートがあったと思いますし、そういうものに本当に恵まれていたないうふうにと思っています

 ――(演技終了)直後に右足を少し触っていましたよね?あれは痛みですか?それとも?
 「感謝です。感謝の気持ちだけです」

 ――この姿(金メダル獲得)というのは平昌に入る前、どのくらい自分の中でイメージできていたんでしょう?怖さだったり、不安だったりと闘っていたんじゃないですか?
 「まず構成がまだ定かじゃなくて、構成どうですか?とずっと質問されていたんですが、自分自身も何かどういうふうにしたらいいのか、何がベストなのか分からなくて、いろいろ悩んでもいたんですけど、だからこそ、ちょっとフリーの方はイメージしづらかったところもあったりもして。ただ、こうやって最終的に集中して跳びたかったジャンプは跳べているので。とにかくよかったと思います」

 ――(最後の3回転)ルッツ、よく堪えましたよね?
 「もう右足に感謝しかないです。はい」

 ――これでまた、これから4年間、オリンピックチャンピオンになります。
 「ここまで来るのに、たくさんの方々に支えられながら生きてきました。本当にスケートだけじゃなくて、羽生結弦としてたくさんの方々に育てていただいたことを感謝します。ありがとうございます」

★★★

羽生「右足ががんばってくれた」 3回転ルッツこらえ「感謝の気持ち」
2018.2.17 14:47
http://www.sanspo.com/pyeongchang2018/news/20180217/pye18021714470039-n1.html

 平昌五輪第9日(17日、江陵アイスアリーナ)フィギュアスケートの男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=は合計317・85点で66年ぶりの2連覇を飾り、日本勢の金メダル第1号に輝いた。同3位の宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=が合計306・90点で銀メダル、同2位の元世界王者ハビエル・フェルナンデス(26)=スペイン=が合計305・24点で銅メダルだった。

 羽生との一問一答は以下の通り。

 --演技を振り返って 
 「何とか滑ることができた。とにかくたくさんの方々がサポートしてくださって、この会場で滑り切れてホッとしている。自分がやりきれたと思える演技ができたことがよかった」

 --演技後に吠えた
 「右足ががんばってくれた。けがのせいで練習できなかったことを含めてたくさんの方に心配をかけた。いままで以上の応援があって、恵まれていた」

 --演技後の右足に触れていた
 「感謝の気持ちだけ」

 --演技構成は
 「構成が定かではなくて、自分自身もどうしたらいいかわからなかった。フリーはイメージしずらかった。集中して跳びたかったジャンプは跳べてよかった」

 --3回転ルッツはこらえた
 「右足に感謝しかない」

 --この4年間は
 「ここまで来るのにたくさんの方々にささえられながら生きてきた。スケートだけでなく、羽生結弦として育てていただいたことに感謝している」

★★★

羽生結弦、ライバルと切磋琢磨し成し遂げた五輪連覇「時代に恵まれた」涙は「ホントに大変だったんで」
2018年2月17日 16:46
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000343000c.html

 平昌五輪は17日、フィギュアスケート男子フリーが江陵アイスアリーナで行われ、ソチ五輪・金メダルの羽生結弦(23=ANA)が206・17点をマーク。前日のショートプログラム(SP)111・68点と合わせ、計317・85点で金メダルを獲得。五輪男子66年ぶりの2連覇を達成した。これが日本の今大会金メダル第1号。宇野昌磨(20=トヨタ自動車)も計306・90点で銀メダルを獲得し、日本フィギュア史上初のワンツー表彰台となった。

 【羽生と一問一答】

 ――涙の意味は
 「ホントに大変だったんで。ここまでくるのに大変だったし、4年間ということを考えるとやっぱり、あれから応援してくださった方も、ジュニアの頃からノービスの頃から応援してくださった方もたくさんいて、なによりも家族や、チームやこれまで人間として育ててくれたコーチ、担任の先生とか、いろんなところで支えてくださった方々含めて、いろんな思いがこみ上げてきました」

 ――きょうの構成は
 「とにかくもう、今日の起きた時点で考えようと思っていました。幸いにも僕はいろんなオプションを持っていて、選択肢がたくさんある中で、こうして試合に臨めたということは、やっぱりある意味でケガをしてしまったから、こうやっていろいろ考えられるということもあったと思いますし、ある意味でこうやってスケートができなかった期間があったからこそ、作戦ということを学び、こうやって勝つためにここに来られたということもあると思います」

 ――演技について
 「前半は丁寧にいったっていうか。やっぱり6分間練習でサルコーが不安だったので。とにかくサルコーさえ降りられれば、前半の感覚で後半も跳べるという風に思っていましたし。何よりも、昨日も言ったけど、サルコーもトーループもアクセルも、トリプルジャンプ全て、何年間もやってきているんで、覚えていてくれました」

 ――最後の3回転ルッツをこらえた
 「右足でルッツを跳ぶのが一番大変なんで。右足頑張ってくれたな、という思いが強いです」

 ――演技が終わった瞬間は
 「勝ったと思いました。でも、何よりもソチ五輪の時は“勝てるかな”っていう不安でしかなかったので、今回は何より自分に勝てたって思いました」

 ――フリーの構成を決めたのはいつ
 「朝です。自分で決めました。練習の前です。理由はいっぱいあります」

 ――4回転ループを跳びたかったのでは
 「跳びたいとか跳びたくないとかの前に、何より勝ちたいだったので。勝たないと意味がないという風に思っていた。この試合は特に。何よりもこれからの人生でずっとつきまとう結果なので。本当に大事に大事に、結果を取りにいきました」

 ――連覇が懸かる重圧にさいなまれることはなかったか
 「特に。とにかく連覇とかそういうのじゃなくて、今回の試合で勝ちたいと思っていた」

 ――ソチの金と比較して
 「単純に比較はできないですね。今、思うのはずっと小さな頃から抱いていた夢、または自分の人生設計みたいなものの中である意味、やっと中間点くらいまで来た。だから、そういった意味ではスケートを始めて、“五輪で金メダルを取る!”ってエフゲニー・プルシェンコさんを見ながら思っていた頃の自分に“いろいろあるけど、練習頑張れよ”って言いたいです」

 ――プルシェンコを超えた
 「超えてないです」

 ――ソチのフリーとは違ったか
 「あの時は無我夢中で頑張っていたし、あの時はあの時でいい演技ができたと思っています。あの演技に関して、何も恥じるものはないし悔いもない。でも、やっぱりミスがあったのは確かなので、ミスを払拭できる演技ができたのは良かったです」

 ――トロントでフリーの通し練習はやっていたのか
 「何度かやっていました。ただ、足の状況も気になっていましたし、足の状況については何も話すつもりはないですけれども、本当に大変だったんで、思っていたよりも。最初に診断してもらった靱帯損傷だけじゃなくて、本当にいろんなところを痛めてしまっていて、氷上に乗れない日々が長かったので、ある意味、体力とかよりもスケートに乗ることの不安の方が大きかった」

 ――フィギュアのレベルを引き上げた
 「別に僕が引き上げたとは思っていないです。一番最初に4回転ルッツの戸を開いたのはボーヤン(金博洋)だし、それから何とか僕も限界を超えようと思って彼を追いかけていただけだし、そしたらみんな強くなっていって、そしたらネーサン・チェン選手が出てきて、そして宇野選手という素晴らしい日本の選手が出てきて。本当に僕は時代に恵まれたスケーターだなと思っています」

★★★

五輪2連覇の羽生「今回は何より自分に勝てた」
2018/2/17 18:17
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27057180X10C18A2000000/

 【平昌=金子英介】平昌五輪第9日の17日、フィギュアスケート男子で羽生結弦が66年ぶりの五輪2連覇を達成した。フリーの演技を終えた瞬間、「勝てたと思った」などと喜びを語った。報道陣との主な一問一答は以下の通り。

 ――涙の意味は。
 「本当にここまでくるのが大変だった。4年間を考えると、(ソチ五輪で金メダルを取った)あれから応援してくださった方も、ジュニアのころから応援してくださった方も、ノービス(小学生)のころから応援してくださった方もたくさんいた。何よりも家族やチームやこれまで育ててくれたコーチ、担任の先生、いろいろなところで支えてくださった方々を含めて、いろいろな思いが込み上げてきた」

 ――スタミナはどのくらいあったのか。フリーのジャンプの構成はいつ決めたのか。
 「とにかく、きょう起きた時点で考えようと思っていた。幸いにも僕はいろいろなオプションを持っている。スケートができない期間があったからこそ、作戦というものを学び、勝つためにここにこられた面はある」

 ――前半は丁寧にいったのか。
 「前半は丁寧にいったというか、6分間練習で(4回転)サルコーが不安だったので、とにかくサルコーさえ(転倒せずに)降りられれば、前半の感覚で後半も跳べると思っていた。何よりもサルコーも、トーループも、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)も、3回転ジャンプも、すべて何年間もやってきているので(体が)覚えていてくれた」

 ――ジャンプの着氷でこらえていた。
 「右足でルッツを跳ぶのが一番大変なので、右足が頑張ってくれたなという思いが強い」

 ――演技を終えた瞬間は。
 「勝ったと思った。ソチ五輪のときは勝てるかなという不安しかなかったが、今回は何より自分に勝てたと思った」

 ――フリーの構成を決めたのはいつ、誰と相談したのか。
 「朝、練習の前に自分で決めた。理由はいっぱいある」

 ――4回転ループは跳びたかったか。
 「跳びたいとか跳びたくないとか、そういうことの前に何より勝ちたいと思った。この試合は特に、勝たないと意味がないと自分の中では思っていたので。これからの人生でずっとついてくる結果なので、本当に大事に大事に結果を取りにいった」

 ――ショートプログラムの後は精神的に追い込まれていたか。
 「そんなことはない。本当にショートはよかったし、(ジャンプの構成が)サルコーとトーループで、世界記録とはいかなかったけれど、やっぱりこのように評価していただけるというのは、自分のスケートに自信が持てた。そういう意味でこういう決断になったかなと思う」

 ――五輪連覇の重圧にさいなまれることはなかったか。
 「特に(ない)。とにかく連覇とかそういうのではなくて、今回の試合で勝ちたいと思っていた」

 ――東日本大震災からまもなく7年だが、故郷で応援している方に対しては。
 「どうですかね……。もうちょっと考えてから話します」

 ――今の演技は自分のキャリアの中でどのくらいの位置づけか。
 「単純に比較はできない。ただ今思うのは、ずっと小さいころから描いていた夢、または人生設計みたいなものの中で、ある意味やっと中間点くらいに来ている。スケートを始めて、(2006年トリノ五輪金メダリストの)エフゲニー・プルシェンコさん(ロシア)を見ていたころの自分に『(金メダルを)取れたよ』『練習はいろいろあるけれど頑張れよ』と言いたい」

 ――プルシェンコを超えたが。
 「超えてないです。超えてないです」

 ――ソチ五輪の金メダルとは違うか。
 「あのときは無我夢中で頑張っていた。あのときはあのときでいい演技ができたと思っている。あの演技に関して何も恥じるものはないし、悔いもない。ただミスがあったことは確かなので、何とかあのミスを払拭する演技ができたことは、今回うれしかったところかなと思う」

 ――4回転ジャンプの種類を増やしていったことが、きょうの演技に生きたか。
 「それがあったからこそ、選択肢があったとはいえるかな。ルッツ、ループをずっと挑戦し続けていなかったら、この構成があったとはいえない。やっぱり一つとして無駄なことはないなと改めて実感させられた」

 ――平昌ではフリーの通し練習をやっていなかったが、拠点先のトロントではどうだったか。
 「何とか通し練習はやっていた。足の状況もすごく気になっていたし、足の状況についてはまだ何も話すつもりはないけれど、本当に思っていたよりも大変だった。(けがをして)最初の診断の靱帯損傷だけではなく、本当にいろいろなところを痛めてしまっていた。氷に上れない日々がとても長かったので、ある意味体力よりも、スケートへの不安、スケートに乗ることの不安の方が大きかったかもしれない」

 ――この4年間はフィギュアスケートというスポーツのレベルを引き上げてきたと思うが。
 「別に僕が引き上げたとは思っていない。最初にやっぱり4回転ルッツの扉を開いたのはボーヤン(金博洋)だし、それから何とか僕も限界を超えようと思って、彼を追いかけていただけ。そうしたらみんなも強くなっていって、ネーサン(・チェン)という選手が出てきて、宇野(昌磨)選手という素晴らしい日本の選手が出てきた。本当に僕は時代に恵まれたスケーターだなと思っている」

★★★

 

✿ 男子FS记者会 ✿ 

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nikkan

金の羽生結弦「右足に感謝しかない」~主なコメント
2018年02月17日 15時00分
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2018/feature/20180217-OYT8T50003.html?seq=03

 平昌オリンピック、フィギュアスケート男子は、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(ANA)が206・17点でフリー2位となり、合計317・85点でこの種目66年ぶりの連覇を達成した。

 競技終了後、羽生結弦は「右足に感謝しかない」とケガに苦しんだシーズンを振り返った。

 テレビインタビューでの主なコメントは以下の通り。

 「とにかくたくさんの方々がサポートしてくれて、まず滑ることができたので、ほっとしている。自分がやり切れたと思う演技ができたのがよかった」

 「右足が頑張ってくれた。ケガのせいで練習できないのも含めて心配かけたが、今まで以上の強い応援サポートがあった。恵まれていた」

 「(右足を触ったのは)感謝です。右足に感謝しかない」

 「(韓国入り後)構成が定かじゃなくて、自分もどうしたらベストかわからなかった。最終的に集中して跳びたかったジャンプが跳べているのでよかった」

 「スケートだけじゃなく、羽生結弦として育ててくれたみなさんに感謝しています」

 記者会見での主な発言は以下のとおり。

 「けがしてから、こうやって五輪の舞台で滑れたことを幸せに思う。けがをしてから滑ることができなかったが、最終的に笑顔で終えられて良かった。それに尽きると思う」

 「(東日本大震災後のここ4年間について)ただ一つ言えることは、こうしてまた五輪というぼくが大切にしている大会で金メダルを取れたことはすごく誇りです。(前回のソチ五輪後に)金メダルを持って被災地の方にあいさつしたら、たくさんの笑顔が見られたので、今回は少し自信を持っていきたい。皆さんが笑顔になってくれたらいいなと思っています」

 「(きょうの勝利について)開き直るしかないと思っていた。けがが思ったよりひどくて、練習ができなかった。それでもスケーターとしてできることを探って頑張ってきたが、漫画の主人公だとしても、ちょっとできすぎなくらい、いろいろあった。でもこうやって金メダルを取ってたくさんの方に応援してもらって、スケートを見てもらって、こんなに幸せなことはありません」

 「(宇野選手とのワン・ツーフィニッシュについて)こうやって一緒に表彰台に立てる日本の仲間がいる、彼とこうやってメダルを一緒に獲れて本当に良かったと思う。その結果を見て、喜んでくださる方がたくさんいると思うので、頑張って良かったと思う」

 「(次の五輪について)いまは特に考えていない。まず足首がよくなってくれないとスケートを滑ることも難しい。完璧に治すことが大事。3連覇は史上初になるかな。でも、そんなに甘くないのは知っている。頼もしい後輩もいるし、もうちょっとたぶん滑ると思うけど、みんなと滑りながら考えていけたらいいなと思う」

★★★

羽生「こんなに幸せなことない」 メダリスト会見 
現役続行の意思示す
2018/2/17 19:54
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27057670X10C18A2000000/

 【平昌=金子英介】平昌五輪第9日の17日、フィギュアスケート男子で66年ぶりの五輪2連覇を達成した羽生結弦が、銀メダルの宇野昌磨、銅メダルのハビエル・フェルナンデス(スペイン)とともにメダリストによる記者会見に臨んだ。羽生は「こんなに幸せなことはない」などと終始笑顔で喜びを語り、今後については「もうちょっと滑ると思う」と現役続行の意思を示した。羽生との主なやり取りは以下の通り。

 「まず五輪の舞台で滑れたことを幸せに思う。けがでなかなか滑ることができなかったけれど、最終的にみなさんの前で笑顔で終わることができてよかった。それに尽きると思う」

 ――きょうの勝利はどのくらいドラマチックだったか。
 「開き直るしかないと思っていた。けがが思ったよりもひどく、練習がなかなかできなくて、それでも何とかスケーターとしてできることをいろいろ探って頑張ってきた。だけど、漫画の主人公にしてはちょっとできすぎなくらい設定がいろいろあって、でもこうやって金メダルを取って、たくさんの方々に応援してもらって、名前を覚えてもらって、スケートを見てもらって、こんなに幸せなことはないなと思っている」

 ――けがの期間に何か特別なことをしたか。
 「特別なことは何もしてない。スケートができないときにただ筋トレをして、イメージトレーニングをしてということだけでなかったのは確か。それは誰かに言われたからやったわけではない。いろいろなことを考えて、いろいろなことを分析して、最終的にそれを自分の感覚とうまくマッチさせて氷上で出せることが自分の一番の強み。だからこそ、爆発力があるのだと思っている。けがをしてよかったとは絶対に思っていないけれど、けがをしたからこそ、できたことだと思っている」

 ――この4年間は長かったか。また支えにしてきたものは。
 「短かったと思えば短かったかもしれないけれど、本当にいろいろなことがあった。(ソチ)五輪が終わって、(ミスをした)フリーのリベンジをしたいと誓った。何とかリベンジした世界選手権から始まって、その次のシーズンは(他の選手との)衝突から始まり、その後手術をして、その次の年はインフルエンザにかかって全日本選手権に出られなかった。(今季は)また捻挫をして。自己ベストも出たが、また大きなけがをしてしまった。けがばかりだったけれど、それだけフィギュアスケートに対して、スポーツに対して、勇気を持って恐れずにいろいろなものにチャレンジしてきたからだと思う」

 ――自分のどこを褒めたいか。
 「褒める部分はないと思うけれど、何よりもきょう滑っていて、やっぱりスケートをやっていてよかったなと思った。自分がけがしたときにスケートができなくなるんじゃないかと思った日々がけっこう続いたので、きょうこうやって結果を出して、スケートをできてよかったなというのが一番かな。褒められるところはない。まだまだ足りない部分ばかりなので」

 ――ともに練習してきた銅メダルのフェルナンデスについて。
 「ハビエルについては本当に彼がいなかったら、まず(練習拠点とする)カナダに行かなかった。彼がいたから僕はサルコーもトーループも安定してプログラムに入れられるようになった。彼がいなかったら、つらいトレーニングに耐えられなかった。僕は一番近くにいるスケーターとして、彼がソチ五輪でメダルを取れなかった悔しさ、今回の五輪で絶対に(メダルを)取りたいという気持ちを肌で感じていたので、彼がこうやって隣にいてメダルを取ったのは本当にうれしい」

 「たくさんの素晴らしいスケーター、みんながフィギュアスケートの基盤をつくり上げてきてくれていると感じる。いろいろな方々が(フィギュアスケートを)僕が切り開いたと言ってくれるが、僕はそれを百パーセント否定したい。僕がこうやって強くなろうと、いろいろな(種類の4回転)ジャンプを跳ぼうと思ったのは間違いなくボーヤン(金博洋)選手のルッツを見て思ったこと。ループを跳ばないとと火がついたのはハビ(エル・フェルナンデス)の完成度の高い演技だったし、日本でもうかうかできないと思えたのは宇野選手の存在だった。これまでたくさんの選手がいて、引退した選手も含めてたくさん応援していただいて、自分の目に焼き付いているその方々の演技が僕を鼓舞してくれたと思っている」

 ――東日本大震災を経験したことはこの4年間でどう変化していったか。
 「本当に大変な日々だった。僕は内陸部の人間だったので、実際に地震の被害にしか遭っていない。それでもガスも電気も水もない生活は本当に大変で、それ以上に苦しんでいる方々がたくさんいることを、特に津波や原発で被災した方々の家に行って知った。ソチ五輪でもこのような質問をされて、どういうふうに答えたらいいかわからなくなった自分がいた。ただ一ついえることは、こうやって五輪という僕が一番大切にしている大会でまた金メダルが取れたことをすごく誇りに思っている。自分が金メダルを持って、被災地の方々に挨拶をしたときにたくさんの笑顔を見ることができたので、今度はちょっと自信を持ってまたみなさんに笑顔になってもらえたらいいなと思っている」

 ――宇野と金、銀のメダル。日本のファンへメッセージを。
 「個人競技なので、一生懸命お互い頑張った。僕は彼のことをノービス(小学生)時代から知っているし、ジュニアも一緒に戦った。彼とこうやってメダルを一緒に取れて本当によかったなと思う。その結果を見て、喜んでくれる方がたくさんいると思うので、頑張ってよかったなと思う」

 ――五輪3連覇へ向けて意気込みは。
 「今は特に次の五輪については考えていない。まず足首がよくなってくれないとスケートを滑ることすらも難しいと思うので、完璧に治せるように努力することが一番かなと。もちろん2連覇できたことはうれしいし、3連覇になると今度は史上初になるのかな。でも、そんなに甘くないのは知っているので。この4年間で相当レベルが上がって、僕も何回も何回も置いていかれた。これからは頼もしい後輩もいるし、まだやめない素晴らしいスケーターもいるし、(自分は)たぶんもうちょっと滑ると思うけれど、みんなと一緒に滑りながらいろいろ考えていけたらなと思っている」

 ――今後の予定は。
 「(3月の)世界選手権(の出場)はまだわからない。やはり右足のけがの状態が、そんなによくないと思っているので。今回はかなり無理をさせてしまった。跳べないジャンプ、できないエレメンツを含めてもうちょっと考えたい」

★★★