2010.11.22 - sportsnavi - 羽生結弦の前に立ちはだかる世界の壁 (青嶋ひろの)

「自分はまだまだ弱い」

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ロシア杯では総合7位となった羽生。GPファイナル進出はならなかった【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

「もーう、悔しい。本当に悔しい! 早く日本に帰って練習がしたいです」
 ロシア杯のフリーではNHK杯で成功した4回転が決まらず、後半に跳んだコンビネーションジャンプが「跳び過ぎ違反」で無得点。しかし、前日のショートプログラムはミスがなく、フリーでは後半のコンビネーションでの成功を含め、トリプルアクセルはきちんと2度成功させた。シニア1年目として、決して恥ずかしい演技内容ではなかったはずだ。にもかかわらず、フリー終了後の羽生結弦は、地団太(じだんだ)を踏まんばかりに悔しさをあらわにしていた。

「負けたけれど自分の演技ができて満足、なんて嘘ですよ。試合で負けて悔しくないわけがないじゃないですか」(昨年秋のインタビューでのコメント)
 羽生は日本男子では珍しく、闘争心をあらわにするタイプだ。そして試合前には緊張感で恍惚(こうこつ)として笑いが止まらなくなるほど勝負事が大好きだ。おっとりした先輩選手たちはまず口にしない「この選手は気になる、この選手には勝ちたい」などという話もてらいなくしてくれる。“天使の顔で牙を持つ15歳”――彼を、そんなふうに評した選手もいた。

 グランプリシリーズ2戦目となったロシア杯。そんな自分の気の強さが裏目に出たのだと彼自身は分析する。
「デビュー戦のNHK杯は、自分がシニアでどのくらいの評価を受けるか分からなかったので、ある程度の覚悟はしていました。もしかしたらショートで7位以下、最終グループに入れないかもしれないなと。でも結果は総合4位。しかも表彰台まで、あと5点もなかったんです。それでロシア杯は……順位にこだわり過ぎたかな」

 今大会はグランプリ6大会きっての男子シングル激戦区。登場選手はトマシュ・ベルネル、パトリック・チャン、ジェレミー・アボット……。いずれもワールドメダリスト級、グランプリファイナルの常連選手たちだ。高橋大輔の世界選手権2連覇を阻止するとしたら彼らだろう、誰もがそう考える選手たちばかり。ライバル選手を強く意識する、そんな羽生らしさも今回はあだになったようだ。
「パトリック選手、トマシュ選手、アボット選手。公式練習からみんな4回転を跳んでいましたね。やっぱりレベルが違うなって感じました。ジュニアとはもう全然違います。みんな身体もでかいですし。これは一緒に練習することで、彼らのうまさをうまく取り込むいい機会だなとまず思いました。でもNHK杯の時もそうだったけれど、周りの雰囲気に流されて、自分の練習に集中できなくなってしまうことも事実です。モスクワに来て最初の練習でパトリック・チャンと一緒だったんですけれど、彼とは初めて同じリンクで滑ったんですよ。もう……ダメです(笑)。世界一うまいと言われるあの滑りに見入ってしまって、全然自分が見えてなかった」

4回転へのこだわり
 彼の強い負けん気は、ほかの選手だけでなく、自分自身にも向いていた。今シーズンから試合で挑戦し、すでにNHK杯、東日本選手権で連続して成功させている4回転トウループ。これをロシアでも絶対に決めたいという気持ちもまた大きかったのだ。
「シニアでの戦い、自分の中ではたくさんの壁を思い描いています。例えば一番最後の壁の1つが、大ちゃん、高橋大輔選手。途中にパトリックたちがいて……でも、最初の壁、目の前の壁は4回転。つまり、自分自身との戦いなんです。NHK杯でも、東日本でも、その勝負には勝てた。だから今回も……。絶対跳べるって思い過ぎちゃったんです。自信が、過信になってたかもしれないな」

 フリーの冒頭、4回転は転倒もステップアウトもせず、3回転できれいに着氷した。しかしこれは最初から3回転を跳ぶつもりだったのではなく「跳ぶ前に力が入り過ぎ、身体が締め切れなかった」ことでの3回転。この3回転トウループが、フリーの4分30秒すべてに影響してしまったという。4回転トウと3回転トウでは、使う筋肉も力加減もかなり違う。跳ぶ予定でなかった3回転トウループを跳んだことで、想定していなかった筋肉を使い、身体は一気に消耗した。
 精神的にも「やばい!」という思いで大きく揺さぶられた。集中も切らしてしまい、ステップ前の思わぬ場所で大きく転倒。そして何より、トウループが3回転となったことで、3回転ジャンプ3種類(トウループ、アクセル、ルッツ)を2度ずつ跳んだことになり、後半の得点源、3回転ルッツ−2回転トウループが「跳び過ぎ違反、無得点」となった。「転んでもいい、絶対4回転を跳ぶ!」という気持ちが大きすぎたため、冒頭のジャンプが3回転になったときの対策は講じていなかったのだ。
「2大会連続で跳べていた4回転が入らなかったのは……やっぱり集中し切れていなかったんですね。演技前の6分練習から、いや、朝の公式練習からもう、集中は切れていました。回りの選手が気になって気になって……4回転にそこまでこだわってはいけない、そのことは分かっていたのに、心の奥の奥では、4回転のことばかり考えていた。こんなに強い選手ばかりなんだから、4回転を跳ばないと勝てないって」

「自分はまだまだ弱い」

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世界の壁の高さを肌で感じた羽生。さらなるレベルアップが求められる【Getty Images】

フリーではNHK杯で出したシーズンベストを更新できずに6位、総合では7位だった。ライバルを意識し、戦う心をむき出しにし、勝ちにこだわり、その果てに彼は敗れた。ある意味ロシア杯は実に羽生らしい試合だったと言えるだろう。
 シニアで戦う多くの先輩選手たちは、よくこんなことを言う。
「一緒に戦う選手のことが気になっていた時は、自分のことがおろそかになり、勝てませんでした。でももう人のことなんか気にせず、自分の演技を見せようって思うようになったらすごく楽になったんです」
 羽生もロシア杯を経て、その鋭すぎる牙、勝負師のこだわりを捨てていくのだろうか。「勝ち負けよりも自分の演技」に納得することを、目指していくのだろうか。

 試合終了後、大いに悔しがりながらも、彼は笑っていた。
「悔しいけれど……楽しいです。この悔しさは、絶対次への糧になると思う。ここで経験しなきゃいけない悔しさだったと思うし、こんな試合ができて良かった、と思っています。
 だから全日本(選手権)では、こんな演技はもう絶対にしないって言いたいです。これから1カ月の間に、ジャンプ構成の確認、4回転の精度を上げる、スケーティングの向上……。やるべきことはいっぱいあるけれど、この短期間で全部クリアしてみせますよ。もう、楽しいです! やるべきことがすごくたくさんあって楽しい。『これをやれば絶対うまくなれる』がこんなにも明確なんですから。
 そしてシーズン前には迷っていたけれど、やっぱりジュニアからシニアに上がったこと、すごく良かったです。もし今シーズンもジュニアに残っていたら、誰も200点は超えられない中での戦いでしょう? 戦う意味はもうなかった。でもシニアはこうして200点を超えても(※ロシア杯の総合得点は202.66)、やっと7位です。強い選手がいっぱいいる、この層の厚さがいいですよね。今、4種目の中でも男子が一番レベルが高い。壁がすごく厚い、高いことを感じています。
 楽しいなあ! ほんとにシニアに上がってよかった。向かうべきものがこんなにたくさんあって、明確にそこに見えているなんて。自分はまだまだこの場所ですごく弱い。もっともっとうまくなりたい、強くなりたいなって……すごく思いました」

羽生を強くするもの
 周囲の雰囲気に流されず、自分に集中することの大切さは、もちろんここで学んだ。しかし勝負師・羽生結弦を奮い立たせているのは、やはりシニアのストロング・フィールドに立つ喜び。
 勝ちへのこだわりを持って臨んで、大きく跳ね返されたロシア杯。それでも笑って、敵の強さに大喜びしてみせるのが羽生だ。彼の負けん気、闘争心は、少しも変わらないどころか、さらに大きくなっている。羽生を強くするのは「自分の演技への満足」ではなく、やはり「越えるべき壁の厚さ」「戦うべき相手の手ごわさ」なのだろう。

 なぜ彼らは滑り続けるのか?
「勝負など関係ない。自分の芸術を完成させるため」ときっぱり言い切ったステファン・ランビエールのような選手もいた。さまざまな意思を持つスケーターがいて、それぞれの火花を散らし、このスポーツを面白くしてくれる。

 シニア1年生、世界中が期待を寄せる逸材・羽生結弦。彼はこの場所で、勝つために滑ることを選んだ。これから先の全日本選手権、いつか立つ世界選手権の舞台、そして4年後へ――、羽生は不敵に笑いながら、勝つために強く、美しくなる。その姿を、わたしたちに見せ続けるに違いない。

 

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