2015.07.13 - web sportiva - 羽生結弦が新エキシビション 『天と地のレクイエム』に込めた思い (折山淑美)

折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi 能登直●撮影 photo by Noto Sunao

7月4日のファンタジー・オン・アイス神戸。静かなピアノの音の中で滑り出した羽生結弦の姿から、一瞬たりとも目が離せなくなった。

 前週の金沢公演から演じ始めた新しいエキシビションプログラム、『天と地のレクイエム』。驚きと天への怒り、そして襲いかかって来る絶望感と無力感。心の中で暴れ回る狂おしいほどの気持ちが、体の隅々からしみ出てくるような滑りだった。

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神戸、長岡で、今季のエキシビション『天と地のレクイエム』を披露した羽生結弦 

自身が経験した東日本大震災への思いを表現するプログラムを作りたいと考えていた羽生にとって、松尾泰伸氏が作曲した『東日本大震災鎮魂歌「3・11」』との出会いは衝撃的だった。羽生は、一度聞いただけでこの曲で踊ることを決めた。そして滑り始めると、自分の体の中に何かが降りて来るような感覚になったという。

 プログラム制作中だった6月上旬、羽生はこう話していた。

「僕はこれまで、いろいろなプログラムをやってきましたけど、何かのメッセージを届けるというのはあまり得意じゃないと思うんです。ときどき、いろんな先生方に『自分の中に入り込みすぎる、もっと外へ意識を向けるように』と注意されたこともありました。でも、この新しいエキシビションプログラムに関しては、僕の経験やその時の感情をそのまま込める演技にしようと思っています。完全に自分の中に入り込んで、その世界に自分の体や気持ちなど、すべてを溶け込ませるまで滑り込みたいと思っています」

 羽生は「歌詞がないピアノの曲なので、表現するのが難しい」とも話した。また、そんな曲であるがゆえに、受け取る側が、自身の思いとは違ったものになることもあるとも考えている。

「振り付けの宮本賢二先生とは『こういうイメージでやろう』というのは固まっています。でも、『これを受け取ってほしい』というのは考えないようにしようと思っています。アイスショーというのはナマ物ですし、そこで作りあげるイメージはその時限りのものでしかない。だから、観ている皆さんには、その時感じたことや、その時に思い浮かんだ風景とか、心の中に浮かんできた思いなどを大切にしていただいて、それぞれの記憶に少しでも残してもらえれば、と思っています」

 東日本大震災で被災した体験は、それを経験した個人のもの。その感情は他人に押しつけるようなものではない。自分の思いを提示するだけという思いがあるのだろう。

 緊張感に満ちた3分27秒の滑りで、羽生は、拍手や歓声、感嘆のため息をつくいとまもないほど濃密な時間を作りあげた。

 最後に、氷上に2列の花がポッと映し出される。羽生は、燃えさかっていた自分の気持ちを心の中で静かに鎮めて演技を終えた。

 東日本大震災への思いを込めたプログラム。羽生はそれを神戸で演じたことに、大きな意義を感じていた。神戸は、1995年の阪神・淡路大震災から復興を果たした地だからだ。


羽生は、終演後にマイクを手にした。

「神戸で『天と地のレクイエム』をやらせていただけたのは、本当にうれしいことです。神戸は大震災から復活した、というより、新しい素敵な街に生まれ変わった。その街で、皆さんの前で滑れたことは、本当に幸せでした。僕は先日、福島へ行ってきました。まだまだ復興はしていませんでした。これからも、みなさんが、東北のみならず津波の被害を受けた茨城県や千葉県のことも忘れずに、支援活動を続けてもらえたらと思います」

 こう話した後、マイクを離すと、肉声で「ありがとうございました!」と感謝の言葉を口にして、羽生はリンクを去った。

 その1週間後、“フィギュアスケート・アオーレ長岡”で、疲労がたまった状態だったにもかかわらず、羽生は志願して2回目の公演で『天と地のレクイエム』を演じた。新潟もまた、2004年の中越大地震で甚大な被害を受けた地だ。

 心の中にとどめていた大震災への思いを、自分の作品として表現することで、羽生はまた新しい一歩を踏み出した。

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