2015.11.29 - NHK杯 FS - sportsnavi - 300点超えを生んだ羽生結弦の“気づき” (大橋護良)

300点超えを生んだ羽生結弦の“気づき”
無駄ではなかった2つの苦い記憶

2015年11月29日(日) 10:55

見る者を驚愕させたスコア

「言葉では言い表せないです。実際、ユヅルがリンクから出てきたときもそう言ったんです。『言葉は何も思いつかない』と。本当にすごく偉大で魔法にかかったような瞬間だったと思います。みんながスケートにおける特別な瞬間を目撃したと思っていますし、一生忘れられない出来事だと思います」

 羽生結弦(ANA)のコーチであるブライアン・オーサーは、愛弟子の演技について感想を求められるとそう答えた。

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NHK杯で羽生が見せた演技は、見るものの想像をはるかに上回るものだった【坂本清】

 28日に行われたフィギュアスケートのNHK杯男子フリースケーティング(FS)で、羽生が再び金字塔を打ち立てた。前日のショートプログラム(SP)では世界歴代最高得点を更新する106.33点をマーク。FSでもいまだかつて誰も成し遂げていない200点超えの期待が高まる中、20歳の五輪王者は見る者の想像をはるかに上回る結果を残した。

 冒頭の4回転サルコウはGOE(出来栄え点)で2.86点が付くきれいなジャンプで成功。続く4回転トウループ、演技後半に入れた4回転トウループ+3回転トウループのコンビネーションも見事に決めてみせる。スピンとステップにもすべて加点が付いた。アナウンスされた点数は216.07点。SPとの合計322.40点という驚異的なスコアに、会場内はどよめきに包まれた。興奮冷めやらない羽生は両手を突き上げて喜びを爆発させると、続けて行われたインタビューでは驚きと感謝の気持ちを伝えた。

「本当に信じられないです。スコアにはびっくりしましたけど、実際にスケートカナダが終わったあとから、NHK杯まで血のにじむようなつらい練習をしてきました。練習をサポートしてくださった方々、拠点としているカナダのクリケットのリンク、自分が生まれ育った仙台のリンク、すべてに感謝したいと思います」

スケートカナダ以降「人が変わった」

 羽生がミックスゾーンに現れたのは、演技終了から約40分後。表彰式やアイシングなどを終え、すでに普段の冷静さを取り戻していた。今後に向けて挑戦することについて聞かれると、間髪入れずにこう答える。

「技術的なところで言うと、4回転ループを試合で組み込むまでには至っていません。まずはそこを練習していきたいと思っています。ただ、それはすぐにできるようになるとは思っていません。そして次の試合からは今回自分が出した322点という得点、SPの106点という得点、FSの216点という得点が、プレッシャーとなって降りかかってくる。それに打ち勝つ、それをコントロールする精神力をつけなければならないと今は考えています」

 今大会で羽生が飛躍的に点数を伸ばしたのは、4回転を多く取り入れたジャンプ構成もさることながら、メンタル面のコントロールがうまくいったことも1つの要因として挙げられる。これまで積み重ねてきた経験が生きたようだが、中でも羽生が具体的な例として挙げたのが先日のスケートカナダと昨年のソチ五輪だった。

 スケートカナダではSPでミスを連発し6位スタート。FSで巻き返したが、優勝したパトリック・チャン(カナダ)には及ばず2位に終わった。その悔しさをバネに、それからは厳しくも納得いく練習を積むことで、試合に向けての自信を深めていった。SPはこれまでノーミスで演技を終えたことがないプログラムにもかかわらず、NHK杯では「ワクワクしていた」と語ったほどだ。

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さまざまな経験を経て成長する羽生を、オーサーコーチ(左)は見続けてきた【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 オーサーコーチは振り返る。

「スケートカナダは非常に良い教訓だったと思います。ユヅルはさまざまな経験を経て、より競技者として力をつけましたし、闘志がみなぎるようになりました。ユヅルは試合で勝つことが大好きですが、スケートカナダでは勝てなかった。特にSPは最悪でした。ただ、たまにはああいうことがあったほうがいいんだろうなとも思ったんです。スケートカナダ以降、ユヅルは人が変わったみたいでした。今回も現地入りしてからの準備がすごく良かったんです。いつもより落ち着いていて、非常に自信も持っていました。ユヅルは大会にどうやって臨めばいいのか、自分なりに見つけたんだと思います」

ソチ五輪で学んだこと

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世界最高得点で完勝したNHK杯の陰には、ソチ五輪での苦い経験があるという【写真:ロイター/アフロ】

 一方、SPで世界歴代最高得点を出し、FSを迎えるというのはソチ五輪と同じシチュエーションだった。当然、選手としては欲が出る。五輪のときはそれが「金メダル」だった。しかし当時、羽生はその意識に気づいていなかった。いや、あえて蓋をしていたと言ったほうが適切かもしれない。結果のことを考えず、自分の演技に集中することがベストだと考えたのだろうが、無理に金メダルへの欲を隠すことでかえって意識してしまい、緊張を増幅させてしまったのだ。最終的に金メダルを獲得したものの、それは“気づき”として羽生の頭に残っていたという。

 そしてその気づきは、NHK杯で生きることになる。羽生がSPの結果を受けて意識したのは「FSでの200点超え」と「合計スコアでの300点超え」だった。そこで羽生はどうしたのか。

「やりたいと思っていること、プレッシャーとして降りかかるようなことを考えている自分を認めてあげたんです。今回は試合に入る前からFSで200点を超えたいとか、合計で300点を取りたいという気持ちが少なからずありました。それにちゃんと気づくことができ、なおかつ自分がプレッシャーを感じていることに気づくことができました。こうしたことに気づけたのも、今までのたくさんの経験があったからこそ。これまでやってきたことが無駄じゃなかったんだなと思います」

 かつての苦い経験を糧にし、未来の成功へと生かしていく。羽生が次々と偉業を成し遂げていけるのは、当たり前のようでいてなかなかできないことを、忠実にやり抜く器量を備えているからだろう。それは人間力の高さに他ならない。

もっと難しい4回転を跳べるように

 前人未到の高みに到達した羽生は、今後どこに向かっていくのか。オーサーコーチは愛弟子の底知れぬポテンシャルに目を細める。

「まずはこの瞬間を満喫してほしいと思っています。それが終わってから実際に演技を振り返って、今後どうしていくかを2人で考えていきたいです。まだシーズンは始まったばかりですし、ユヅルはもっと成長すると思います。その一方で今回の演技を超えるのはなかなか大変でしょう。おそらく誰も超えられない。超えられるとしたらそれはユヅル自身しかいないと思います」

 これまでもそうであったように、これからも自分との戦いが続く。NHK杯でマークした点数を超えるためには、エレメンツの精度をさらに上げるか、より難度の高い4回転ジャンプが必要になってくるだろう。今シーズンからシニアに参戦している金博洋(中国)は中国杯で4回転ルッツのコンビネーションジャンプを史上初めて成功させた。NHK杯でも4回転ルッツを軽々と決めている。

「僕は金選手のように4回転ルッツは安定していないです。1回まぐれで下りたことがあるくらいで、彼のようなクオリティーでルッツも4回転ループも跳ぶことはできません。そして4回転アクセルも数回チャレンジしてみて、着氷することも回転することもできていません。将来的に4回転がどれだけ必要なのかは分かりませんけど、金選手はジュニアから上がってきて、今大会のSPとFSで4回転を後半に入れるという素晴らしい演技をしました。これはスケート界の将来を見ているような気もします。それが正解というわけじゃないですけど、僕自身もできることをすべて出し切って、もっともっと難しい4回転、質の高い4回転を跳べるように頑張りたいと思います」

 この偉業もあくまで通過点。まだ見ぬ自分と出会うために、羽生結弦の挑戦意欲はますます高まっていくばかりだ。

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