2016.04.01 - web sportiva - 怒りを集中力に変えて。羽生結弦が見せた絶妙のメンタルコントロール

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi  能登直●撮影 photo by Noto Sunao
 アメリカのボストンで開幕した世界フィギュアスケート選手権、3月30日の男子ショートプログラム(SP)。最後からふたり目の29番滑走だった羽生結弦は、演技を終えると大きな声で叫んだ。

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気迫溢れる滑りで、SP首位に立った羽生結弦
「『よっしゃー!キターッ!』『見たかこの野郎!』みたいな、そんな気持ちでしたね」と言って羽生は笑う。
 その叫びの伏線は、昼の公式練習にあった。前日の公式練習の曲かけ練習時も、デニス・テン(カザフスタン)が2度にわたって羽生が滑るコース上に接近して演技を中断させていたが、この日の曲かけの最中にも、羽生がトリプルアクセルを跳ぶために滑るコース上で、テンがスピンを始めたのだ。
 テンを避けながら声を荒らげた羽生は、そのままトリプルアクセルを跳んだが転倒してフェンスにぶつかり、右手で強くボードを叩いて怒りを露わにしていた。
「彼自身もちょっとピリピリした気持ちがあるのかなと思いますけど、『たぶん故意だろうな』という感じはありました。あとで映像を確認すると、彼は僕の方をちゃんとチェックして、今までとは違う方向からスピンに入っていた。昨日の練習でも僕のステップ(の時に)に、明らかに無理やり入ってきていましたし、去年の世界選手権のショートの前にも、僕が転んでいるにもかかわらず、そのまま入ってきた彼に4回転を跳ばれたこともありますし。ただ、そういう気持ち以上に、そういうことで怒ってしまった自分に対して、『これじゃダメだな』という思いが強かったです」
 こう話す羽生は、試合直前の6分間練習から気合十分だった。ひとつひとつしっかり確認するように、トリプルアクセルから4回転トーループ+3回転トーループ、4回転サルコウをきれいに決め、終了直前にはもう一度サルコウへ入るコースを確認してリンクから上がった。そして、本番でも最初の4回転サルコウをGOE(出来ばえ点)3点の完璧なジャンプにすると、次の4回転トーループでは着氷で少し尻が下がってしまったが、危なげなく3回転トーループを付けた。
 おそらく、今回が最後の演技になるであろう『バラード第1番ト短調』。ソチ五輪で『パリの散歩道』を、すべてを手の内に収めたかのように自信を持って滑った時と同じように、羽生はこの曲のすべてを自分の体にしみ込ませているようだった。
 得点は、昨年12月のグランプリファイナルで出した自己最高得点に0・39点及ばないものの、2位につけたハビエル・フェルナンデス(スペイン)に12・04点差を付ける110・56点。圧巻の結果だった。
 それでも、終盤のステップについては、本人が「冷静さより他の感情が勝っていたと思う」と言うように、荒々しい自分の気持ちが発露するあまり、感情を抑えきれていない滑りにも見えた。
 そう問いかけると羽生は一瞬苦笑し、「ちょっと意地でレベル4をとりにいきましたけど、ダメでしたね。何かもうちょっと頑張れるところがあるのかなと思っているんですけど、それもまた(課題ができて)うれしいところなので……。しっかりやりたいです」と話した。
「皆さんが見ていてわかるとおり、(精神面で)グジャグジャでしたけど、冷静になりきれなかった中でのこの演技だったからこそ、終わった瞬間すごくうれしかったです。もう終わったことなので全部思い出すのは難しいですけど、インタビューを受けながら自分の頭の中で整理した結果、これまで経験したことがないような新しい経験の中でいろいろ試行錯誤をしました。そこで自分の考え方であったり、攻略法が通用したというのがあるので。だからそこでまたひとつ、何か答えに近づけたかなという感覚はあったと思います」
 羽生は、SP前日の囲み取材で「今の自分の完璧というものを目指したい」と口にしたことが「すごく引っかかっていた」と明かした。しかし、試合前の練習でテニス・テンとのゴタゴタがあったことで、そんな思いはどこかに吹き飛んでしまった。思いがけない混乱に巻き込まれてしまった中で、「結果を考えたり他人にどう観られたいかを考えるのではなく、自分がどういうことをやりたいかだけを考えて集中することができた」と分析した。
 それがまさに羽生結弦というスケーターなのかもしれない。なかなかすんなりとはいかない状況でも、何らかの課題を自分で見つけて集中力を高める糧にし、それをまた魅せる演技に昇華していくのだ。
 いわば“怒りの演技”ともいえたSPを終えた今、周囲にはまたもや「300点超え」への期待が沸き上がってきている。羽生が自分の気持ちや身体をどのようにコントロールし、それをどうフリーの演技に反映させるのか。またひとつ、新たな楽しみができた。

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