ANA 訪問 - 運命を受け入れ、力に変える 王者の魂

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4年に1度の国際大会が韓国平昌で開催される2018年2月は2017-2018シーズン中のため、大舞台へ出場し表彰台を狙う選手にとって、今季はプレシーズンとして大事な一年を迎えたことになる。
フィギュアスケート男子シングル界を牽引し続けるトップスケーター、羽生結弦。昨季は左足甲のじん帯損傷というダメージを負ってシーズンを終え、治療とリハビリを経て氷上練習が再開できるようになったのは、6月中旬。例年であれば、春に短いオフを過ごしたのち、すぐに新プログラムの作成に取りかかり、夏場には9月10月から世界各国で行われる大会に向けてブラッシュアップしているに違いない。8月下旬の取材日、羽生選手は晴やかな表情でカメラの前に立ち、試合後の会見同様、滑らかに話し始めた。
「まだあまり詰めた練習はできていませんが、焦りはありません。プレシーズンですし、(ジャンプなど)難易度の高い技も磨きをかけて、完成させていきたいと思っているので、今季もテーマは『挑戦』です。氷上練習を始めた当初、左足に負担の少ないルッツやループを数多く跳んでいました。4回転ルッツに挑戦してみたい気持ちは少しありますが、プログラムに入れることは現段階では現実的ではないですね」
新技への取り組みやエレメンツのレベルアップなどを冷静に分析しながら、気負いを感じさせることもなく話す羽生選手だが、未曾有の大震災を経験しながらも日本人男子初の金メダリストに輝いた以降も、決して平坦な道を歩んではいなかった。激しい練習により身体が悲鳴を上げた時期があったり、2種類の4回転を跳ぶプログラムにチャレンジしたり、自身で叩きだした世界最高点を自らで破るなど、いくつもの壁を乗り越えながらさまざまな挑戦を重ねて成果を挙げてきた。それは王者の座にあぐらをかかず、己に起きたことをまっすぐに受け止め、思考し、より高みを目指して真摯に努力できる彼だからこそ、何事にも揺らぐことがないのだろう。事実、取材から40日後のシーズン初戦――ISU公認の国際大会で史上初となる4回転ループを成功させ、またひとつ壁をクリアしてみせた。

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観客の心を沸き立たせたい新プログラム
「ショートプログラムはテンポが速く楽しめるような曲なので、格好良さだったり激しさだったりを感じていただければうれしいです。一転してフリースケーティングは、去年のようなキャラクターが定まっている感じではなく、情感あふれるピアノ曲。人それぞれ感じ方は違うでしょうが、心の底にある『何か』を喚起させたいですね。全く違う印象なので、一つの大会の中で、それぞれに違う一面をお見せできればいいと思っています」
取材時にはここまでの情報しか公開されなかったが、後日お披露目されたショートプログラムはロックスター・プリンスの代表曲『Let’s Go Crazy』を男らしく踊り、フリースケーティングでは久石譲氏のピアノ曲『ホープ&レガシー』の美しくドラマティックな旋律を抒情的に滑って、彼のコメントの意図をしっかりと表現していた。
楽し気に語った彼の脳内では、新しい顔を持つ羽生結弦が氷上を華麗に舞い、これまでに幾度となく味わった、会場全体がスタンディングオベーションでどよめくシーンが、すでにイメージされていたのかもしれない。

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オンもオフも音にこだわる
4歳でスケートを始め、10歳から世界を転戦する華やかなキャリアをスタートさせた羽生選手。以来”旅”と言えば「遠征か練習」と話す。2012年にカナダ・トロントへ練習拠点を移し、日本とカナダを幾度となく行き来する道中で会得したことがあるそうだ。
「トロントまでのフライトは12時間くらいかかるので、長いフライトに慣れてきました。海外での大会へは必ず飛行機に乗るので、非常にいい経験が積めていると思います。試合へ行くときは時差ボケ対策のために、基本寝ることを心がけています。試合後のフライトで演技を振り返り、課題を探すこともありますが、ゲームなどをして、もう本当にリラックスしていることが多いです(笑)」
旅の友について尋ねると、ジュニア時代に話を聞いたときと同じように瞳を輝かせ、熱心に語ってくれた。
「旅の友はイヤホンですね。気分や聴く曲、シーンによって使い分けています。遮音性の高いものやフィット感で選ぶこともありますが、決め手は”音質”。繊細な音や抜ける音が聴こえるタイプや、疲れているときは温かみのある音質で聴けるイヤホンにするとか、ガンガン聴いてモチベーションを上げたいときにはクリアな音質にこだわったものにするとか! 常に5~6本、多いときは8本くらい持ち歩いていますね(笑)」
カメラマンが撮影した画像を見ながら、「イヤホンをしている写真って新鮮!うれしい!」と頬を緩める。そんな愛してやまない旅の友は、戦友でもあるようだ。
「プログラムの曲を日常でも聴き込んで、『ここにこういう音がある』とか、『ああいう音もあるんだ』というのを、身体の中で感じ取れるくらいにしていきます」
競技の特性上、振り付けをただ踊るだけでは豊かな表現力とは見なされず、高得点につながらない。音を取って音(曲)に合わせて踊り、難しいエレメンツをこなしながら、その曲の世界観を表現できなくては、トップ戦線を勝ち抜けないのだ。
しかし、イヤホンで細部の音にまでこだわる表現者=スケーターがいたとは驚いた。演技中にリンクで流れるときには聞こえないかもしれない音までをすくい上げ、羽生結弦ワールドを体現したいという高い意識の表れに、私には聞こえた。

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巻き起こる「羽生旋風」平昌、そしてその先へ
4年に1度しか獲ることのできない金メダルを手中に収めてもなお、世界のトップで戦い続けようとするスケーターは、近年では珍しい。休養を取り心身ともに休ませてから復帰するスケーターもいるが、年々複雑化するルール、4回転ジャンプを複数の種類のジャンプで跳ばなくてはいけないほど技のレベルが上がり、ジャンプだけではなく、表現力やエレメンツ間のつなぎにも工夫をしなければ、表彰台に上がることさえできない厳しい時代だ。下からの突き上げも激しさを増してきたが、それでも競うことをやめないアスリート――羽生選手に、モチベーションをキープする秘訣を尋ねた。
「”多面性”を持っているからだと思います。表現であったり、スケーティング技術であったり、ジャンプもスピンもステップも、本当にいろいろな面がそろっている競技なので。もちろん、僕の大きな武器としてエレメンツ一つひとつの質が高いことや、技のつなぎにスキがないことなどがありますが、たとえばエッジワークが巧みな選手のスケーティングなど見習いたいと感じるし、それぞれに素晴らしい技術を持っていて学べることがたくさんある。だから、トップを走るつらさはありますが、全てにおいて追いかけられている気はしません。むしろ、ここはもっと追いかけたいとか、ここは負けていないなとか、そんなことを感じながら自分を成長させられると思うことに対して全力で取り組み、もっと上手くなりたい、進化したいという気持ちが続いているのだと思います」
続けて、平昌大会での抱負をさらっと口にする。

「『絶対金メダル獲るぞ!』という気持ちはあります。それは、どの大会でも優勝したいと思うし、いい演技がしたいというのと同じこと。4年に1度の試合も、毎年行われる試合も同じ”試合”なので、『絶対金メダルを獲りたい』と思っています」
そうインタビューを締めくくった羽生選手が退出する際、もう一つだけ質問を投げかけてみた。二つ目の金メダルを手にしたあとは?
「どうしよう? いくつでもほしいですよね!」
満面の笑みと爽やかな一陣の風とともに、彼は取材現場をあとにした。奇しくもこの日は台風が関東を襲い、外は強風がビルに吹き付ける散々な天候で家路を急ぐ人々の足を速めていたが、それはまるで「羽生旋風」が今季も巻き起こり、フィギュア界を席巻することを予言しているようだった。

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