2011.11.07 - sportsnavi - 16歳の羽生結弦「どうしても世界選手権に」 日本男子トップ3に挑む(青嶋ひろの)
ベテラン勢を抑え、SP2位発進
日本のトップ3の一角を崩すのでは?と期待される16歳の羽生【写真は共同】
中国杯、フリー当日。羽生結弦は公式練習から、誰よりも多くの人目を引きつけていた。
今シーズンオフ、東日本大震災で被災しながらも、アイスショーに多数出演することでプログラムを磨き、4回転ジャンプもほぼ完璧に身につけてきたことは、記者会見で海外の記者からもコメントを求められるほどよく知られた話だ。高橋大輔、織田信成、小塚崇彦のトップ3がそのまま世界のトップ6に入る日本男子シングル、その一角をこの若者が崩すのではないかという予想は、この夏からずっと、期待を込めて語られてきた。
そしてグランプリシリーズ初戦、中国杯。ショートプログラムでは、難なく4回転トゥループを決めて2位。織田やジェレミー・アボット(米国)を抑えてのこの順位。しかも1位は、18歳で世界選手権銅メダリストのアルトゥール・ガチンスキー(ロシア)。勢いのある10代2人が4回転を決めて上位に立ち、ショートでの4回転を回避した実績のあるベテラン勢を抑えたという結果に、上海の会場は騒然となったのだ。
ガチンスキーか、羽生か――。次世代のスターを決める戦いが始まるかのような雰囲気が満ちた公式練習。滑り出し、まずは体を氷に慣らしていくはずの時間帯から、羽生はせかせかと、手も足もちょっと動かし過ぎなほど動き回ってしまう。はやる気持ちを抑えきれない様子は誰が見てもはっきりと分かり、「落ち着いて!」と声をかけたくなってしまうほど。やがて曲かけの順番が来ると、ドラマチックなフリー、「ロミオとジュリエット」を、もう噛みつかんばかりの勢いで演じ始めてしまう。試合直前の曲かけともなれば、振りは軽く流してエレメンツを確認したり、ステップの気になる箇所などをじっくり音と合わせたり、という慎重な練習をする選手が多い。その中で彼は、最初から最後まで全力疾走。まるで、今この時しか自分にはないような切羽詰まった様子で、公式練習からたっぷりと演じて見せてしまったのだ。
「勝つのは羽生」と思わせた完璧な公式練習
しかし、ここで徐々に徐々に、彼の様子は変わってくる。何度も滑りなれたプログラムに身を任せていくうちに、はやっていた体が素直に音になじんできたのだ。体が丸ごと心臓になったように大きく鼓動するパートも、少しナルシスティックな振り付けのスローパートも、音楽と彼の間には何も邪魔するものなどないように、自然に心と体が音に染み込んでいく。さすがこの夏、60公演のアイスショーで何度も何度も滑り続けたプログラムだ。
この曲かけ時間でひとつ自分を落ち着かせ、見ているものを安心させた後は、4回転を中心にジャンプの最終確認に入る。しかしここでまた周りをハラハラさせたのは、4回転が何度跳んでもうまく決まらないこと。転倒、パンク、両足着氷などを何度も繰り返し、もしこれがほかの選手だったら、「練習絶不調」と伝えられるだろう不安定さだ。アイスショーでの成功率8割を誇る4回転がここまで決まらないのは、やはり2位で迎えるフリー直前の緊張感からだろうか。もう見ている方が「これ以上跳ばない方がいいのでは……」などと思い出したその時、練習時間終了少し前――鮮やかな一本が決まった。
周囲からは、おおっ! という歓声と、大きな拍手。本人も「やった!」という気持ちを大きなしぐさで表すと、その後はもう一本もジャンプを跳ぶことはない。あとはただ、何事もなかったように体を大きく動かして、気持ちをリラックスさせるために滑リ流すだけ。最後の最後、きれいに着氷した4回転のイメージだけを持って、本番に臨むつもりなのだ。「練習時間、終了です」のコールがあると、最後にはしっかりと、誰よりも丁寧なポーズで四方にあいさつをしてから、リンクを引き上げる。わずか40分、本人も心から満足している様子が伝わる、「完璧な公式練習」だった。
「結弦君、これなら勝てそうですね」。見ていたカメラマンや記者の表情も、すっかりほころんでいる。そして、「すごいな、もうこの年齢で自分をコントロールできるんだ。その方法を知ってるんですね」などという声も聞こえてくる。それは公式練習を見ていた誰もが思っただろう。国際審判も、ISU(国際スケート連盟)の役員も、たぶんこの公式練習だけで、羽生の大器ぶりに舌を巻いた。そしてほとんどの人が、「勝つのは羽生」と思っていた。フリー本番が始まり、彼がふたつ目のトリプルアクセルで転倒するまでは。
2度の転倒に「呆然としてしまった」
本人も「呆然とした」と言う、フリーでの2度の転倒【写真は共同】
本当に、最初の関門である4回転トゥループ、続くトリプルアクセルを当然のように決めた時には、もう何も心配はいらないと思った。あとはただ、彼が言うところの「『ロミオとジュリエット』ではなく、『結弦とジュリエット』」のプログラムを楽しもう。シーズン直前、2度もロシアに渡り、ナタリア・ベステミアノワらにブラッシュアップしてもらったというプログラムを、たっぷり見せてもらおうと思った。その矢先……だった。4回転に比べれば、問題ないはずのトリプルアクセルのコンビネーションとトリプルルッツで大きく転倒。特に2度目の転倒では、立ち上がるのに少し時間がかかるほどの、大転倒だ。
「正直、2度転ぶなんて、ここしばらくやっていないようなミスでしたから。特にアクセルで失敗するなんて、何年ぶりだろうって……。自分でもちょっと呆然としてしまったかな」
取材エリアに出てきたころには、もう何でも聞いてくれ、という開き直った表情。最難度のジャンプを跳びながらも後半に出てしまったミスは、スタミナの問題なのか、あるいは4回転が入って安心してしまったのか、という質問にも、間髪をいれずに答えた。
「体力は確かに足りないけれど、それ以前の問題だと思います。4回転が決まって、気を抜いたわけでもなかった。ただ……4回転だけに、集中し過ぎていたのかもしれません。4回転を成功できるかどうか、それだけに僕自身が重きを置き過ぎていたかもしれない」
羽生に足りなかったものとは
では、4位という成績はどう感じているか。ライバルのガチンスキーも崩れ、もうひとリのライバル、宋楠(中国)に逆転されたことは?
「今は順位のことは考えられません。誰に勝ったか負けたかも、考える気分になれない……。とにかく、自分のやるべきことができなかった。他の誰ではなく、自分に負けたんです。だって4回転じゃなく他のジャンプでミスなんて、本当にダメじゃないですか。得意のアクセルで転んでなんていたら、4回転を跳んでも意味がないのに」
最初は淡々としていた口調も、自らの話でどんどん高ぶっていくよう。そんな彼を見ていて、ああ、誰もが一目置く超新星も、やはりまだ16歳なんだなと、少し安心さえしてしまった。
思えば私たち――日本のファンだけでなく、おそらく世界のスケート関係者も――は、羽生に大きな期待をかけ過ぎていたのだろう。それは、彼の実力を買いかぶり過ぎていた、というわけではない。国際大会で、ショートプログラム、フリーともに4回転を成功させた実力は、やはり本物だ。PCS(プログラム・コンポーネンツ・スコア)も7点台が簡単に並び、演技力や表現のスキルなどもきちんと評価されている。
しかし、才能に恵まれ、きちんと練習を積んできたとしても、若い選手がフィギュアスケートという競技でスターダムに上り詰めるには、あともうひとつ足りないものがある。それは、「試合を戦い抜く力」だ。
経験値不足は「言い訳」16歳で3トップに挑む
今回、「期待の10代」2人がそろって崩れる中、上位に入ったのはベテランのアボットと織田だった。前日、若手2人に話題をさらわれ、追い込まれたフリー。そんな状況で、失敗はしても大崩れはしなかったベテラン2人。織田にこの話を聞いてみたところ、「確かに今回は、経験が僕を助けてくれた」と語った。「前にもこんなことはあったな、と、ふと思い出したんです。ミスをしたらもうメダルが取れないって状況。焦りはするけれど、でも今までもこんなこと、何度もあったんだから大丈夫、って今回は思えたんです。僕、場数だけは踏んでますからね(笑)」
豊富な経験値、そして着実に身につけてきた試合勘というものは侮れない。思ったほどの好スタートを切れなかった羽生を見ていて、改めてそのことを思った。そして、大丈夫、彼だってこうやって、どんどん強くなるのだ、と。そのうち、何があっても失敗しないようなチャンピオンになって、憎らしいほどの不敵さで、多くのライバルたちの前に立ちはだかるに違いない。その力が十分あることは、今回もしっかりと見せてくれた。あとは彼の成長していく一試合一試合を、これからゆっくり楽しませてもらえばいいのだ。
そんな話を報道陣が彼にしたところ、当の羽生はキッとなって言い返した。
「経験値――そんなことを言っていたら、僕は高橋さんや小塚さん、織田さんに勝てないってことになりますよ! 経験がないから勝てなかった、は言い訳です。僕は今年、どうしても世界選手権に行きたい。そのためにどうしてもファイナルに行きたい。だから次の、ロシア杯は勝ちます。今回は『まずは表彰台』って思っていた。勝つことにそれほど執着はしていなかったけれど、次は優勝しないとファイナルに行けない。ここまで追い込まれて逆に、『勝つしかない』って気持ちになれましたから」
どうやら羽生は、私たちに「成長を楽しむ」余裕を与えるつもりはなさそうだ。
それならば、見せてもらおう。史上最強の日本男子3トップ。高橋25歳、織田24歳、小塚22歳。何年もかけて、失敗を繰り返しながらこの地位にたどりついた3人の猛者に、わずか16歳で挑もうという無謀な高校生の、怖いもの知らずの挑戦の1年を。