2016.01.11 - web sportiva - 「できることはまだまだある」。 羽生結弦らが演技で伝えた震災復興への想い
折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi 能登直●撮影 photo by Noto Sunao
東日本大震災からもうすぐ5年。2016年1月9日、盛岡で行なわれたNHK杯スペシャルエキシビションは、復興へ向けて歩みを進める被災地の人々を支援する意味も込めて開催されたアイスショーだった。
このアイスショーに出演した羽生結弦は、7日に津波の被害を受けた岩手県大槌町を訪れ、旧役場庁舎を視察。また、小学校4校と中学校1校の生徒たちが合同で学ぶ大槌学園や、近くの子どもセンターを訪問して地元の子どもたちとも交流した。
『花は咲く』では、羽生と荒川静香さん、本田武史さん、鈴木明子さんが共演
羽生は、アイスショー前日の8日の記者会見では、この地で行なわれるエキシビションの意味をこう話した。
「僕自身、震災があった2011年のシーズンから世界の舞台に立たせていただきましたが、実際、こうやって地震の被害や津波の被害があった地域でエキシビションを滑らせていただけるのは、非常に光栄なことだと思います。今現在、フィギュアスケーターの羽生結弦として支援できる精一杯のことがこのようなことだとも思うので、自分ができることを観客の皆様に観てもらい、自分の思いを無理やり押しつけるのではなく何かを感じ取っていただき、それを少しでも大切に思っていただければと考えています」
すべてのものが順調に復興しているとはいえない状況でもある。羽生とは別に、荒川静香氏や本田武史氏、宮原知子らも、大船渡市の盛駅から釜石市の唐丹駅まで三陸鉄道に乗るなどして被災地を訪問し、釜石市の仮設住宅団地を訪れて住民の人たちと交流したという。
無良崇人は、「これまでテレビで観ていた場面が目の前にあるのを実感し、少しずつでも元の状態に戻りつつあるのをうれしく感じました。そんな気持ちを少しでもアピールする演技をしたい」と話し、宮原も「実際に被災地を訪問して、テレビなどでは得られない情報を知ることができました。いまだに仮設住宅に住んでいらっしゃる住民の人たちもいて、まだ完全には復興していないと思うので、自分の演技が少しでもそういう方たちの力になればいいと感じました」と話した。
また、1年間の休養中にさまざまな形で被災地の人々と触れ合っていた浅田真央は、「去年1年間休養している時には、私も被災地の方々が少しでも元気な気持ちになってもらえればと思って岩手県にも来ていましたが、今度は、もう一度選手として復帰するという形で岩手の地へ来ました。今回は、私のスケートを観て何かを感じ取ってもらえたらうれしいなと思うので、このエキシビションは心を込めて滑りたいと思います」と話した。
アイスショー当日、羽生は第1部の最後に、自らと同じ仙台で育った先輩スケーターである荒川静香氏や本田武史氏、鈴木明子氏に子どものスケーターを2名加える特別企画として、『花は咲く』を演じた。
そして2部の最後には、自身が東日本大震災への鎮魂の思いも込めてつくりあげたエキシビションナンバー、『天と地のレクイエム』を「すごく気持ちを込めて滑りたい」と話していたとおり熱演した。
浅田はショーの前半に今シーズンのエキシビションナンバーである『踊るリッツの夜』を軽やかに演じると、第2部のフィナーレでは8名の子どもスケーターと登場。11年のエキシビションナンバーだった『ジュピター』を、イギリスの少年合唱団・リベラの生の歌声に乗って荘厳さが滲み出るような演技を披露した。氷上には、かつて浅田も訪れたことがある陸前高田市の“奇跡の一本松”のシルエットが映しだされた。
「復興へ1歩1歩進んでいるところもあれば、足踏みをしているところもある。僕たちができることはまだまだあると思います」
5年前、自らも仙台で被災した羽生が語った言葉に、改めて震災復興への強い思いが込められていた。