2014.12.22 - Number web - 挑戦を続ける五輪王者・羽生結弦。世界フィギュア史でも異色の理由。 (田村明子)

★ 注:田村明子的文章主要是看Yuzu本人的发言 ★

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GPファイナル終了後、すぐに帰国して全日本に向けた練習を始めた羽生。「(全日本選手権まで)短い期間の中、どれだけ自分が成長できるか……そこに重点を置いて練習していきたい」(aflo)

 ショパンの「バラード第1番ト短調」のピアノの音色が流れ始める。羽生結弦はリンクの中央に背筋を伸ばして立ち、音楽に聞き入っているかのように、下を向いたポーズのまましばらく動こうとしない――。
「最初に(この曲を)いただいたときは、(静止が)2~3秒だったんですが、今測ると大体20秒くらいになってますね。非常に緊張する時間でもあるのですが、その間にイメージトレーニングもできたりするので。今日滑ってみて、あの間は非常に大事な時間だと改めて思いました」
 バルセロナのGPファイナルのSP後の会見で、この出だしの部分について羽生はそう語った。本当に20秒もあるだろうか、と聞き返すと、「15秒くらいかな……曲の長さが3分6秒くらいあるので、残り2分50秒になるまで立っていますから」と答えた。
 ISUルールで、SPの制限時間は最長で2分50秒と決められている。だが演技時間は選手が動きを開始してから最後のポーズで静止するまでを計るので、音楽はそれより長くても問題はない。
「あそこでいかに曲を感じられるか、ということを意識してやっています」と羽生。
 静止したまま少し音楽を聴いて、それからゆったり動き出すという振付はそれほど珍しくない。だがあえて最初のポーズをシンプルな直立にしたところに、振付師のこだわりが感じられる。

「色々なものにチャレンジしたい」
 振付を担当したのは、元世界チャンピオンのジェフリー・バトル。昨年とその前の2シーズンで滑り、ソチ五輪ではSPで歴代最高点を出した「パリの散歩道」を振付けたのと同じ人物だ。だが今回の作風はまた、以前とはがらりと違う。
「ジェフリーも現役のころは独特の個性を持ったスケーターだった。ぼくも色々と違ったものにチャレンジしてみたいと思いました」
 ヴォーカル曲も使えるようになった今季、SPであえてクラシックなピアノ曲を選んだ理由を聞くと、羽生はそう答えた。 羽生側からリクエストをしたのは、ピアノ音楽、ということだけ。ショパンはバトルが選んだ曲なのだという。
「最初にいただいたときは、曲自体が単にきれいだなと思ったのですが、滑っていくにつれて3拍子がすごく難しかった。またピアノを自分で弾いた経験がないので、独特の強弱をつけるのが大変でした」

歴代最高点が期待できる「オペラ座の怪人」。
もちろん、今シーズン最大の挑戦はフリー「オペラ座の怪人」である。
「中学の時から好きな曲で、思い入れが強い」というこの音楽を、元アイスダンス世界チャンピオンのシェイリーン・ボーンが振付けた。
 このプログラムは、前代未聞の高度なジャンプ構成ということで注目された。前半に4回転を2回、そして後半で4回転トウループのコンビネーションを組み込むことを予定していたのである。だが中国杯のフリー直前の6分間ウォームアップでの事故のため、まだ当初のジャンプ構成を実現できていない。
 バルセロナでは羽生は、「まだ体調は完璧とは言えない。全日本までは、今のままの構成でいきます」とコメントしている。
 本来はステップシークエンスが終わって後半へと差し掛かった4つ目のジャンプに、4+3あるいは4+2のトウループを入れる予定なのだという。
 フリー後半に4回転を入れる構成は、羽生のトレーニングメイトでGPファイナル2位だったハビエル・フェルナンデスが何度か成功させている。だがジャンプの質などの多くの要素を考えると、おそらく羽生がこの構成で成功させたなら、歴代最高点が出ることはまず間違いないだろう。

五輪チャンピオンの中で羽生が異色の存在である理由。
 そんな羽生は、近代の男子五輪金メダリストの中で、かなり異色の存在である。
 ざっと過去30年ほどの男子チャンピオンを思い浮かべてみると、これまでの金メダルはトップ男子を引っ張ってきたベテラン選手に、最後の豪華なフィナーレのようにして与えられてきたケースがほとんどだからだ。
 バンクーバー五輪で復帰したエフゲニー・プルシェンコは特殊なケースとしても、ほとんどのオリンピックチャンピオンは金メダルを手にした後、プロに転向している。唯一の例外は、1994年リレハンメル五輪で20歳のチャンピオンとなったアレクセイ・ウルマノフだが、怪我などの理由もあってその後は世界の表彰台に戻ることなく現役を終えた。

飽くなき向上心とモチベーション。
 だが羽生は、ソチで史上初の日本男子金メダリストになった直後に、4年目の平昌五輪を目指すと明言。その言葉に違わず、アイスショーに明け暮れた夏を過ごした後、休みらしい休みを取る間もなく今シーズンはGPシリーズから参戦した。
 だが、思いがけないアクシデントに見舞われる。それでもギリギリで滑り込んだGPファイナルで連覇を果たした。
「オリンピックチャンピオンとか、GPファイナルチャンピオンとか、自分にはまったく関係がない。チャレンジャーとして、ここに来ました」。バルセロナ入りした後、そう口にした羽生だが、SP、フリーともに何か別格の貫禄を漂わせた演技だった。心なしか、昨年よりも体も一回りがっしりしてきたように見える。特にフリーの演技はこれまでの羽生に比べてもより一層パワーアップしており、驚くほどの強さ、巧さを見せつけた。
「今日は緊張したんですけれど、本当に滑っていて幸せだった。体を最後まで存分に使い切ることができる幸せというものを、感じました」
 怪我を乗り越えて手にした2度目のGPファイナルの優勝会見でそう口にした羽生。
 現在20歳になったばかりの彼は、いったいスケーターとしてどこまで進化を続けていくのだろうか。あと3年で彼がどのような選手に成長するのか、世界中が楽しみに見守っている。

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