2014.12.28 - web sportiva - 全日本3連覇。羽生結弦が見つめ直したスケーターとしての原点(折山淑美)

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

 

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2位に大差をつけて全日本3連覇を達成した羽生結弦 

12月27日の全日本フィギュアスケート選手権の男子フリー。羽生結弦は冒頭の4回転サルコウでは転倒したものの、次の4回転トーループをきれいに決めて3連覇へ向けて勢いに乗るかと思われた。
だが、3回転フリップを決めた後のスピンから異変が見られた。見せ場のひとつであるステップにいつものスピード感がなく、丁寧に滑ってはいるが、これでもか!と言わんばかりの迫力とキレがあったグランプリファイナルと比べれば、メリハリがない。その滑りは「かなり疲れているな……」と感じさせるものだった。
 それでも、演技後半に入ってからの3つの連続ジャンプを含む5回のジャンプはすべてGOE(出来ばえ点)で加点をもらうほどきれいに決め、最後のふたつのスピンをレベル4にする強さと執念を見せた。
 羽生のフリーは192・50点。前日のSPの94・36点と合わせ、合計286・86点にして、小塚崇彦、町田樹、村上大介の演技を残したこの時点でトップに立った。
 羽生を追いかける立場だった昨年の全日本2位の町田は、ひとつ目の4回転トーループを決めながらも次の4回転トーループで転倒。続くトリプルアクセルでも着氷でバランスを崩して連続ジャンプをつけられなかった。終盤に予定していた3連続ジャンプも最初の3回転フリップでステップアウトして単発ジャンプになってしまい、合計242・61点で総合4位に沈む予想外の結果となった。
 また、最終滑走者だったSP4位の村上大介は、「練習では10回跳んだら8回は成功していた」という4回転サルコウで2回とも転倒。さらに、トリプルアクセルは1回転半になるなどミスを連発して120・80点しか獲得できず、合計202・08点と振るわなかった。

この結果、2位にはSP、フリーでレベルの高い演技を見せた17歳の宇野昌磨、3位にはSPで出遅れるもフリーはほぼパーフェクトだった小塚崇彦が入り、羽生は2位に35・64点の大差をつけて全日本3連覇を達成。2014年最後の戦いを終えた。

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優勝は羽生。2位は初出場の宇野。3位は11回目の全日本出場となる小塚だった

「とりあえずこの大会が1年の締めくくりなのでホッとしています。悔しい部分はあったし、最初のスピンでは(リンクの)穴につっかかってしまうという不運もあったけど、ミスを最小限に抑えられたのはよかったと思います」
 こう話す羽生は、「今日は疲れが溜まっているという感じが強かった」とも言う。
 この日は、陸上のウォーミングアップ時は身体がよく動き、羽生は「今日は調子がいいのかな」と感じたという。それが、6分間練習で急に体が重くなり、疲労が溜まっていることを実感させられた。
「ここは全日本という独特な舞台なので、今できることをやろうと意識しました。疲れているなかで、スピードを落としてでも、とりあえず最後までやり切ったのはよかったと思います。特に後半のトリプルアクセルは2本とも意識してやり切れた(成功した)のでよかったです」
 2014-2015シーズンの羽生は、出だしから厳しい状況に追い込まれていた。シーズン開幕前には腰痛の影響で10月のフィンランディア杯をキャンセル。その後、追い込んだ練習をできない状態で11月上旬のグランプリシリーズ中国大会に臨み、SPでは細かなミスがあってやや不安な部分が顔をのぞかせていた。そして、追い打ちをかけるように、フリーの6分間練習でエン・カン(中国)と激突して負傷するというアクシデントに見舞われたのだ。
 その試合はなんとか乗り切ったが(結果は総合2位)、ケガの影響でほとんど練習ができないまま出場した11月下旬のNHK杯では、コンディションはまったく上がってこない状態。総合4位となってギリギリでグランプリファイナル出場権を獲得した。
大会後、羽生は日本に残ってブライアン・オーサーコーチに与えられた厳しい練習メニューをこなして自分を追い込めるだけ追い込み、グランプリファイナル(バルセロナ)では見事優勝して連覇。そして、その2週間後の今回の全日本に出場した。羽生は中国大会からの7週間を、まさに綱渡りのような状態でくぐり抜けてきた。
 捻挫や打撲などの故障をジックリと治すような時間はなかった。2月のソチ五輪で金メダルを獲得し、オフの期間は多くのイベントやアイスショーに出演。そしてすぐに今季への準備に入って大会に出場を続け、ケガやアクシデントを乗り越えてきた。彼の身体には、疲労が蓄積され、溢れ出さんばかりになっていたのだろう。そんなギリギリの状態の羽生を支えたのは、彼の精神力であり、五輪王者としてのプライドだったのではないか。
 ソチ五輪から始まった激動の1年間を、羽生はこう振り返る。
「今年は本当にたくさんのことを経験させてもらったというか、いつも以上に精神的にも肉体的にもいろんなことがありましたが、誰もできないようなことを経験できたと思う。たくさんの課題があって、それを乗り越えるための環境があって、それをサポートしてくれる人がいるという幸せを感じました」
 五輪優勝というのは4年に一度、たったひとりの選手しか経験できないものだ。ソチで勝利しながらも感じた悔しさを、羽生は1カ月後の世界選手権での初優勝につなげた。そして、王者として新しいシーズンに向かうという心構えの難しさも学んだ。
「NHK杯からここまで、コーチであるブライアンと一緒に練習ができなかったというのも、普通のスケーターだったら経験できないことだと思う。そういう経験をたくさんさせてもらいながら、今年最後まで滑りきれたというのが、自分にとっては幸せだったなと思います」
2014年、羽生が出場した6試合(ソチ五輪、世界選手権、中国大会、NHK杯、グランプリファイナル、全日本)は、ひとつとして気持ちを緩めることが許されないものだった。特に中国でのアクシデント後の試合では、五輪の優勝も世界選手権の優勝も終わってしまえば過去のものでしかないということを強く認識させられたという。
「もちろん、(チャンピオンの)プライドや誇りを守りたいという気持ちはあります。でも、僕はそれを守るためにスケートをやっているのではないので……。僕はスケートが好きで、ジャンプが好きだからスケートをやっていますし、こうやって試合に出ている。それが、これからの自分のスケート人生の中でも、なくてはならないものだと思いました」
 常に戦い続け、常に勝ち続けたいという強い思い。羽生は苦境に追い込まれた中で、スケーターとしての原点を見つめ直し、アスリートとしての歩みを考えたのだろう。彼はこの1年間で、戦うこと、そして自分を表現し続けることの意味を、改めて再認識したはずだ。3回目の全日本選手権優勝が、12月に20歳になったばかりの羽生の、20代のスケーターとしての出発点になった。

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