2018.02.17 - 平昌冬奥 Day 6 FS 新闻报导

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羽生317・85点五輪連覇に涙、涙/ドキュメント
nikkan 2018年2月17日20時33分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/news/201802170000243.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日

 ショートプログラム(SP)でトップに立った羽生結弦(23=ANA)がフリーでも206・17点で計317・85点で、ソチ大会に続き連覇を飾った。右足首故障からの復帰戦で、SPに続き、ほぼ完璧な演技を披露。フィギュアスケート史上66年ぶりの連覇、日本人として初の冬季五輪連覇を成し遂げた。

 完璧なSPの演技から一夜明け、フリーに臨んだ王者の一挙手一投足を追った。

17日ドキュメント
FS OP
◆8時35分
江陵アイスアリーナに羽生が登場し、朝の練習に。前日に続き、すっきりした表情で体調は良さそう。
◆8時37分
4回転トーループを成功させる。

FS 6-mins
◆13時07分
6分間練習のため、リンクに向かう。
◆13時09分
リンクイン
◆13時11分
練習で4回転成功。
◆13時12分
4回転トーループからの3連続ジャンプに成功
◆13時13分
4回転を行ったが、着氷時に少しバランスを崩した。

FS
◆13時43分
大歓声の中、リンクへ飛び出していく。演技スタート。冒頭の4回転サルコーに成功。会場の声援が大きくなる。
◆13時46分
4回転サルコー-3回転トーループの連続ジャンプに成功。
◆13時48分
コンビネーションスピンから自信に満ちた表情で演技を締め、ガッツポーズ。やりきった満足感から叫ぶ。プーさんのぬいぐるみがリンクへ投げ込まれる。
◆13時49分
スタンドに向かって礼をするたびに大歓声が起こる。
◆13時52分
羽生の得点は206・17で合計317・85点で首位に。2人を残し、メダルが確定した。
◆14時
フェルナンデスの得点は197・66で合計305・24点。羽生の銀メダル以上が確定した。残るは宇野の演技だけとなった。
◆14時9分
宇野の得点は202・73で合計306・90点! 羽生の連覇が決まる。宇野が銀メダル、フェルナンデスが銅メダル。羽生は涙をこぼし、66年ぶりの五輪連覇の偉業を喜んだ。
◆14時18分
表彰式がスタート。
◆14時20分
「ユヅル・ハニュー」のアナウンスを受けると会場は大歓声に包まれる。表彰台にジャンプして立った。ガッツポーズが飛び出す。
◆14時22分
表彰台の上で3人そろって笑顔で記念撮影に収まる。
◆14時25分
日の丸を手に、宇野と一緒に並んで誇らしげな表情で記念撮影に収まる。

★★★

羽生、耐えて「伝説」つくる ゆづ君、すごかった!
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994527.shtml

 フィギュアスケート男子で羽生結弦が五輪2連覇を果たした。前日のショートプログラム(SP)は完璧な演技で首位。フリーでは後半のジャンプで着氷が乱れたが、粘って耐え抜いた。合計317・85点の高得点。2位の宇野昌磨、3位フェルナンデス(スペイン)までが300点を超えるハイレベルの激戦を制した。66年ぶりの2大会連続金メダルで「伝説」をつくった。

 ▽右足首に「感謝」

 右足首故障による練習不足で、演技時間4分30秒(±10秒)の長丁場を持ちこたえられるかが焦点だった。それでも羽生は基礎点が高くなる後半に、4回転2本を含む5度のジャンプを組み込んだ。

 前半、2本の4回転と3回転フリップを完璧に跳んだ。後半に入り、4回転トーループの着氷でバランスを崩した。さらに疲れがピークとなる最終ジャンプでも3回転ルッツの着氷がぐらついた。この危機も、転倒は回避して最小限の失点にとどめた。着氷後、懸命にこらえ、体勢を保つ姿に「絶対王者」の執念がこもっていた。

 羽生が「史上最高のスケーター」と評価されるのは、ジャンプ、スピン、ステップのいずれにも異次元の質の高さがあるからだ。長い手足を生かした表現力でも魅了。フリーではバランスを逸した2本のジャンプが響き、技術点では宇野らを下回ったが、演技点で最高点を稼いでカバーした。

 クライマックス。渾身(こんしん)のスピンで演技を終えると、羽生はしゃがんで、右足首をいたわるように抱えた。一時は五輪出場も危ぶまれた靱帯(じんたい)損傷などの故障を乗り越え、最後まで持ちこたえた。「右足が頑張ってくれた。(足首に)感謝の気持ちだけ」と振り返った。

 ▽戦術面でも成長

 ソチ五輪でもSP首位だった羽生は、フリーの4回転サルコーで転倒。3回転ジャンプでも失敗した。それでもメダルを争ったチャン(カナダ)やライバルたちも相次いで4回転ジャンプに失敗し、羽生はSPのリードを守って勝った。

 4年を経て、男子フィギュアは進化した。有力選手の多くが複数の4回転ジャンプをものにし、習熟度を高めてきた。4回転全盛時代となって、ソチでは許されたミスが、平昌では致命傷になる。

 常に高みに挑み続けてきた羽生も、周囲の進歩と自身のコンディションを冷静に分析したのだろう。連覇に向けて金メダル戦略を修正してきた。4回転ジャンプ1個のミスが、メダルの色を変える状況になったからだ。

 シーズン当初はルッツを加え、五輪では4種類の4回転で臨むシナリオがあった。そこから、けがの要因となったルッツを断念。「構成は定かでなく、いろいろ悩んだ」(羽生)末に、残るループ、サルコー、トーループの3種類からループも外した。難度は低いが、より信頼性のある2種類での勝負を選択した。

 ライバルの演技予定とも比較分析したのだろう。SP2位のフェルナンデス(スペイン)の4回転はサルコー、トーループの2種類が計3本。フェルナンデスと同じ2種類の4回転なら、質の高さで羽生に分がある。4回転3種類を計4本跳ぶ宇野には、演技点で上回ることができる。

 戦術変更が成功した。守りに入ったのではなく、現状で勝利を得る最善の策を採用した。「五輪を知っている」というチャンピオンのクレバーな判断だった。

 ▽「国民的ヒーロー」

 日本のフィギュアスケートは、3回転半(トリプルアクセル)ジャンプの伊藤みどりがブームに火をつけ、2006年トリノ五輪での荒川静香の金メダル、10年バンクーバー五輪での浅田真央の銀メダルでピークに達した。羽生の出現で、女子主導だったフィギュア人気はさらに高まり、裾野を広げた。

 アスリートとしての魅力に加え、リンク外でもしぐさや話しぶりに好感が集まる。浅田が「国民的ヒロイン」なら、羽生は「国民的ヒーロー」。彼らの活躍は、フィギュアの難しさと面白さを普通のおじさん、おばさん、そして子供たちにまで広めた。

 「ゆづ君、すごかったわね」。「感動して思わず涙が出ちゃった」。日本中のお茶の間や街角で、こんな会話が交わされているだろう。スポーツを楽しめる幸福を、みんなでかみしめた金メダルだった。(共同通信=荻田則夫)

★★★

羽生結弦が金!66年ぶり五輪連覇 宇野が銀でワンツー
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994023.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・FS」(17日、江陵アイスアリーナ)

 SP首位の羽生結弦(23)=ANA=がフリー206・17点、合計317・85点(SP111・68点)で金メダルに輝いた。48年サンモリッツ大会、52年オスロ大会を制したリチャード・バットン氏(ディック・バトン氏、米国)以来、66年ぶりとなる偉業を成し遂げた。順位決定後は涙を見せた。今大会の日本選手団金メダル第1号で、日本の冬季五輪通算で11個目の「金」となった。宇野昌磨が2位に入り、ワンツーフィニッシュとなった。

 伝説のスケーターとなった。冒頭、注目の4回転サルコーを美しく降りると、続く4回転トーループも着氷。空気を作り上げた。スピン、ステップを経ての4回転サルコー-3回転トーループも降りた。

 4回転トーループからの3連続ジャンプは1本目で開いてしまったが、その後の2連続ジャンプを3連続にしてリカバー。スタミナが心配された終盤も3回転ループを降り、3回転ルッツをなんとか踏ん張った。演技終了後は大歓声の中、雄たけびを上げた。

 羽生は五輪初出場だった14年のソチ五輪でフィギュア日本男子初の金メダルを獲得。同年と17年の世界選手権で優勝し、13年から16年のGPファイナルで4連覇を果たすなど、フィギュアスケート界のトップに君臨してきた。昨年11月、NHK杯の公式練習中に右足首を負傷し、平昌五輪出場が危ぶまれていたが、16日のSPで圧巻の演技を見せ復活を印象づけていた。

★★★

羽生結弦が金!66年ぶり連覇達成 昨年11月右足負傷から完全復活
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994062.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・FS」(17日、江陵アイスアリーナ)

 SP首位の羽生結弦(23)=ANA=がフリー206・17点、合計317・85点(SP111・68点)で金メダルに輝いた。48年サンモリッツ大会、52年オスロ大会を制したリチャード・バットン氏(ディック・バトン氏、米国)以来、66年ぶりとなる偉業を成し遂げた。今大会の日本選手団金メダル第1号で、日本の冬季五輪通算で11個目の「金」となった。

 羽生は五輪初出場だった14年のソチ五輪でフィギュア日本男子初の金メダルを獲得。同年と17年の世界選手権で優勝し、13年から16年のGPファイナルで4連覇を果たすなど、フィギュアスケート界のトップに君臨してきた。昨年11月、NHK杯の公式練習中に右足首を負傷し、平昌五輪出場が危ぶまれていたが、16日のSPで圧巻の演技を見せ復活を印象づけていた。

★★★

【採点比較】際立った羽生の総合力、チェンの伸び代 4回転に美で対抗
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994512.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・FS」(17日、江陵アイスアリーナ)

 日本の羽生結弦(23)=ANA=がフリーで206・17点、合計317・85点を記録し、66年ぶりの五輪連覇を果たした。4回転トーループからの連続ジャンプでミスをした以外は美しい演技でまとめた羽生だが、フリーだけでは2位。フリーの1位はネーサン・チェン(18)=米国=が215・08点と羽生が持つ世界最高点(223・20点)に迫る高得点をマークした。合計では297・35点の5位に終わったが、SP17位からの12人抜きで存在感を示した。

 最後から2番目の滑走でハビエル・フェルナンデスが2位に入りメダル圏外が決まったチェンに、羽生は立ち上がって握手を求めた。笑顔で何かを語りかけ、圧巻の演技を見せたライバルをねぎらっていた。

 チェンは8本のジャンプのうち冒頭から3本連続、スピンとステップを挟みまた3本連続で4回転ジャンプに挑んだ。減点があったのは3番目の4回転フリップのみで、手をついたものの回転は認められた。ジャンプすべてが10点以上を記録し、基礎点1・1倍の4回転トーループ-3回転トーループは17・63点、難易度の高い冒頭の4回転ルッツは15・17点と得点を稼いだ。

 羽生は、自身のレベルを考えればループやルッツのような難易度の高いジャンプを見送り、サルコー、トーループを2本ずつ、合計4本の4回転を組みこんだ。冒頭の4回転サルコー、続く4回転トーループは9人のジャッジのうち8人から最高の出来栄え点「3」を与えられた。

 これだけでは、目立ったミスのなかったチェンとはさらに大きな差がつくところだが、羽生はスケート技術、要素のつなぎ、動き、構成、曲の解釈からなる「構成点」で96・62点を獲得。チェンは87・44点で9・18点差を縮めている。

 スピン3本の合計は羽生が1・51点、ステップシークエンスはチェンが0・27点勝った。コレオシークエンスは0・6点羽生が上とジャンプ以外の要素でも羽生が上を行った。

 右足首負傷で十分な調整期間が得られなかった羽生にとっては自身最高となる演技構成ではなかったかもしれない。だが、ジャンプ以外の要素、そして細かなスケート技術から表現力にいたるまでの羽生の総合力の高さ、そして、チェンの伸び代が際立った結果となった。

★★★

羽生、連覇に涙 そして「ジャストハッピー」 高難度見送るも「今日のベスト尽くせた」
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994139.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(17日、江陵アイスアリーナ)

 66年ぶりとなる五輪連覇を成し遂げた羽生結弦(23)=ANA=は「ジャストハッピー。それ以上の言葉はない」と胸の内を明かした。フリーでは連続ジャンプの予定が単独になってしまった4回転トーループ以外と、ぎりぎりで踏ん張ったジャンプ最後の3回転ルッツ以外は成功し、フリー2位の206・17点、合計で317・85点を記録した。

 今季は4回転ループに加え、アクセルジャンプを除き最も難易度の高い4回転ルッツも演技に折り込もうと挑んできた。しかし、そのルッツの練習で昨年11月に右足首を負傷。この日はループやルッツといった基礎点が高い4回転ジャンプは見送り、サルコー、トーループで得点を重ねる構成をとった。

 紆余曲折を経て帰ってきた頂点。また、前回のソチ五輪ではフリーで転倒もあり、その雪辱をしたいという思いも口にしていた。「自分のスケート人生のベストではないけど、今日のベストは尽くせた」と持てる力を振り絞ったという羽生。演技後には雄たけびもあげたが、「とにかく本当に右足が頑張ってくれたなと思いますし、けがのことについても、もちろん、けがのせいで練習できなかったところも含めて、たくさんの人に心配をかけたと思います。今まで以上の強い応援があったし、サポートもあったと思うので」と自分の右足をねぎらった。

 韓国でも大声援を送ってくれたファンに対しては「ただ、ありがとうと言いたい」と感謝。周囲の人全てに「本当にここまでくるのに、たくさんの方々に支えられながら生きてきました。スケートだけじゃなくて、羽生結弦としてたくさんの人に育てていただいたことを感謝します。ありがとうございました」とメッセージを発した。

★★★

羽生が連覇!同門のハビエルと抱き合い涙 銀・宇野とワンツー
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994063.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(17日、江陵アイスアリーナ)

 羽生結弦(23)=ANA=が合計317・85点、フリー206・17点で金メダルを獲得した。48年サンモリッツ大会、52年オスロ大会を制したリチャード・バットン氏(ディック・バトン氏、米国)以来、66年ぶりとなる偉業を成し遂げた。今大会の日本選手団金メダル第1号で、日本の冬季五輪通算で11個目の「金」となった。宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=がフリー202・73点、合計306・90点で銀メダルに輝き、日本勢のワンツーフィニッシュとなった。銅メダルはハビエル・フェルナンデス(スペイン)が305・24点で獲得した。

 冒頭、注目の4回転サルコーを美しく降りると、続く4回転トーループも着氷。空気を作り上げた。スピン、ステップを経ての4回転サルコー-3回転トーループも降りた。

 4回転トーループからの3連続ジャンプは1本目で開いてしまったが、その後の2連続ジャンプを3連続にしてリカバー。スタミナが心配された終盤も3回転ループを降り、3回転ルッツをなんとか踏ん張った。演技終了後は大歓声の中、雄たけびを上げた。

 優勝が決まった瞬間に涙で目を真っ赤にした羽生。表彰式前でも同門のフェルナンデスと抱き合い涙しながら健闘をたたえ合った。表彰台の一番高い位置に立つとガッツポーズ。音楽のブレイク(途切れるタイミング)に合わせて決めポーズを取り、ちゃめっ気たっぷりに笑顔を見せた。

★★★

羽生結弦、現役続行も五輪3連覇挑戦は明言せず「みんなと滑りながら考えていきたい」
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994297.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・FS」(17日、江陵アイスアリーナ)

 66年ぶりとなる五輪連覇を果たした羽生結弦(23)=ANA=が「もうちょっと滑ると思うけど」と現役続行を宣言しつつ、3連覇のかかる2022年北京五輪については「今は特に次の五輪については考えていない」と語った。

 昨年11月に負った右足首の負傷を乗り越え、偉業を成し遂げた。最後のジャンプ3回転ルッツは極限状態で踏みとどまるほどで「まず足首を治す努力をするのが大事かな」と語った。

 過去1例しかない94年ぶりの3連覇に挑戦する権利を得た。だが「そんなに甘くないのはしっている」と慎重だ。「この4年で相当レベルが上がって、何回も何回も置いていかれた。こうやって素晴らしい後輩もいるし、やめない素晴らしいスケーターもいる。もうちょっと滑ると思うけど、みんなと一緒に滑りながら色々と考えていきたい」と語るにとどめた。

★★★

羽生、劇的金メダルに「漫画の主人公にしても出来過ぎ」
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994264.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・FS」(17日、江陵アイスアリーナ)

 昨年11月に負った右足首の負傷を乗り越え、66年ぶりとなる五輪連覇を果たした羽生結弦(23)=ANA=が会見で劇的な金メダルを漫画になぞらえて表現した。

 約2カ月間、氷上での練習ができず、一時は平昌五輪出場も危ぶまれる事態となった。「もう開き直るしかないと思ってた。けがが思っていたより酷くて練習ができない中でスケーターとしてできることを探していた」と苦しんでいた当時を振り返った。

 「漫画の主人公にしても出来過ぎなぐらい設定が沢山あって」と、直前のけが、66年ぶりの連覇、といった様々な今回の五輪の要素を表現した羽生。「こうやって金メダルを取れて、感動してもらって、スケートを見てもらって、こんなに幸せなことはない」と万感の思いをにじませた。

 「なんか、人間としての人生で、(これだけ劇的なのは)なんだか変だなって思う」と羽生劇場となった五輪に、気恥ずかしそうにしていた。

★★★

羽生、被災地に笑顔届ける「今度はちょっと自信を持って…」
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994355.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・FS」(17日、江陵アイスアリーナ)

 66年ぶりとなる五輪連覇を果たした羽生結弦(23)=ANA=が2011年に被災した東日本大震災と、その被災者への思いも口にした。

 当時を「本当に大変な日々でした」と語った羽生。自身は内陸部にいたことを踏まえ、「ガスや、電気、水道も止まって大変でした。それ以上に、苦しんだ人たちがたくさんいて、特に津波、原発(事故)の被害にあった地に行って思った」と、自分以上の被害を多くの人が受けたことをあらためて振り返った。

 ソチ五輪の際も震災を受けての質問をされたが、「どういう風に答えていいか分からなかった」という。「今でもその時の自分になんて声をかけていいか分からないけど…」としつつ「こうやって僕が1番大切にしている大会でまた金メダルが取れた。何より4年前に金メダルを持って行った時にたくさんの人の笑顔が見られた」と自分の活躍を喜んでくれる人がいることをかみしめた。

 「今度はちょっと自信を持って、皆さんに笑顔になってもらえたらと思う」と、一回り大きくなった姿で地元に明るいニュースを届けられることを望んだ。

★★★

フィギュア羽生選手、現役続行 優勝後「もうちょっと滑る」
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994546.shtml

 【平昌共同】平昌冬季五輪フィギュアスケート男子の羽生結弦選手(ANA)が17日、優勝後の記者会見で、現役続行の意思を表明した。3連覇へ意気込みを問われ「今は特に次の(2022年北京)五輪については考えていない。そんなに甘くないのは知っている」とした上で「もうちょっと滑ると思う。みんなと一緒に滑りながら、またいろいろ考えていけたら」と話した。

 2連覇が懸かる世界選手権(3月21~24日・ミラノ)出場は「まだ分からない。やはり(昨年11月に負った)右足(首)のけががそんなに良くはないと思っているので」と態度を保留した。


★★★

羽生、フリー演技直後に発した言葉は「勝った」 右足&氷に「本当にありがとう」
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010995288.shtml

 平昌五輪フィギュアスケート男子で66年ぶりの連覇で金メダルを獲得した羽生結弦(23)=ANA=と、銀メダルの宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=が17日、テレビ朝日の「平昌オリンピック」番組に生出演し、フリーの演技を終了直後につぶやいた言葉を明かした。

 メインキャスターの松岡修造さんとプロフィギュアスケーターの織田信成からインタビューを受けた。羽生はフリーの演技終了後にガッツポーズした直後に発した言葉について「たぶん『勝った』と言ってます。『勝った』。『勝った』」と振り返った。そして負傷していた右足に手をやり「ありがとう、本当にありがとう。本当にありがとう。そして氷にありがとうと言っていた」と明かした。

 競技後に「勝った」を連呼した理由は「勝ちたい気持ちもありましたし、19歳のときオリンピックを経験したときとまた違って自分の時間が限られているのをちょっと感じていて、そういうことを含めて勝たねばと思っていました。だから自分自身に勝ち切れたと思ったのと、右足が最後の最後、なんとか耐えてくれたと思ってそういうことを含めて感謝した」と説明した。

★★★

羽生選手の金、各国で報道 「王子から皇帝へ」
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010994778.shtml

 平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で羽生結弦選手が五輪2連覇を果たしたことについて、各国メディアは「(フィギュアスケートの)王子から皇帝になった」(韓国の中央日報・電子版)などと大きく報じた。

 「日本のスーパースターが66年ぶりに五輪2連覇を達成」。中国メディアは、羽生選手を「歴史に名を残した」とたたえた。昨年に右足首を負傷したにもかかわらず「驚嘆すべき技術と演技」(国営通信、新華社)を見せたと紹介。別のネットメディアは「氷上の優美さの陰に、剛毅さを隠し持っている」と評した。

 国営ロシア通信は「日本の神。フィギュアスケーター羽生が金」と報道した。

★★★

首相が羽生選手に電話 金メダルを祝福
daily 2018.02.17
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/17/0010995649.shtml

 安倍晋三首相は17日、韓国・平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で今大会日本初の金メダルを獲得した羽生結弦選手に東京都内の私邸から電話し「困難を乗り越え、多くの人に勇気を与えた。日本人として誇りに思う」と祝福した。羽生選手は「今まで頑張ってきたことが報われた。非常に重みのある勝利になった」と応じた。

 首相は羽生選手に対し「日本人みんなが感動した。新しい伝説ができた」と述べた。演技をテレビ観戦したと明かし「(興奮のあまり)手の中のミカンを握りつぶしそうになった」と語った。

★★★

羽生 涙の金メダル ぶっつけで66年ぶり連覇達成 SP首位から逃げ切り 
2018年2月17日 13:43
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000202000c.html

 平昌五輪は17日、フィギュアスケート男子フリーが江陵アイスアリーナで行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23=ANA)は206・17点、合計317・85点とし、金メダルを獲得。五輪男子66年ぶりの2連覇を成し遂げた。

 先に滑り終えた羽生は控室で最終滑走・宇野の演技を見守った。金メダルが決まると、感極まって涙を浮かべ、テレビカメラに向かって「ありがとうございました」とつぶやいた。オーサー・コーチと抱き合い、喜びをかみ締めた。

 セレモニーを前に、銅メダルのフェルナンデスも加わり、メダリスト3人で輪を作るようにハグを。ジャンプして一番高い表彰台に上がった。

 この日のフリーは、気迫のこもった表情でリンクへ。冒頭の4回転サルコーは流れるように着氷、続く4回転トーループも余裕があった。3回転フリップも決め、序盤のジャンプはすべて成功。ステップシークエンスで魔物をはらう陰陽師の世界を作り上げた。

 ジャンプの基礎点が1・1倍になる後半。後半最初の4回転サルコーと3回転トーループの連続ジャンプに成功したが、連続ジャンプを予定していた4回転トーループの着氷で大きくバランスを崩し、2本目が跳べなかった。得意にしているトリプルアクセルからの3連続ジャンプで立て直し、最後のジャンプだった3回転ルッツは着氷で前のめりになりながらもこらえた。

 ミスはあったものの、表現力を示す演技点は5つの項目すべて9点台の後半を揃え、10点満点をつける審判も。大歓声と拍手の中で演技を終えると、感情を爆発。何かを叫び、戦い抜いた右足首にそっと両手を添えた。

 昨年11月のNHK杯公式練習中に右足首を負傷し、SPは同10月のロシア杯以来118日ぶりの実戦復帰。4回転2つを含む3つのジャンプを完璧に決める驚異的な滑りを披露。自身の持つ世界歴代最高得点112・72点に迫る111・68点を叩き出した。

 17日午前8時25分からの公式練習は、計22本のジャンプを跳んだ。4回転はトーループとサルコー各5本の計10本。サルコー1本の着氷が乱れただけの高い成功率。ループは跳ばなかった。

★★★

羽生結弦、66年ぶり五輪連覇へ暫定1位でメダル確定!残るは宇野とフェルナンデス
2018年2月17日13時59分 スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180217-OHT1T50128.html

 ◆平昌五輪第9日 ▽フィギュアスケート男子フリー(17日・江陵アイスアリーナ)

 フィギュア男子66年ぶりの連覇がかかるSP首位の羽生結弦(23)=ANA=は22番滑走でフリーに臨み、206・17点をマーク。合計317・85点とし、暫定1位で2人を残してメダルを確定した。16日に行われたSPでは111・68点を獲得していた。

 残りはSP2位のJ・フェルナンデス(スペイン)と、同3位の宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=の2人だ。

★★★

羽生結弦 金メダルで66年ぶり五輪連覇!宇野銀で日本ワンツー表彰台
2018年2月17日 14:06
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000237000c.html

 平昌五輪は17日、フィギュアスケート男子フリーが江陵アイスアリーナで行われ、ソチ五輪・金メダルの羽生結弦(23=ANA)が206・17点をマーク。前日のショートプログラム(SP)111・68点と合わせ、計317・85点で金メダルを獲得。五輪男子66年ぶりの2連覇を達成した。これが日本の今大会金メダル第1号。宇野昌磨(20=トヨタ自動車)も計306・90点で銀メダルを獲得し、日本フィギュア史上初のワンツー表彰台となった。

 昨年11月のNHK杯の公式練習中に右足首を負傷し、今大会が同10月のロシア杯以来約4カ月ぶりの実戦復帰となった羽生。SPでは3つのジャンプをしっかり着氷し、自己の持つ世界歴代最高112・72点に迫る111・68点をマークし首位発進。

 フリーでも冒頭の4回転サルコーを見事に着氷し、前半は危なげなくジャンプを決めた。ジャンプの基礎点が1・1倍になる後半の4回転トーループでは大きくバランスを崩したが転倒せず。最後のジャンプとなった3回転ルッツでも前のめりとなったが、きっちりと滑り切って206・17点をマーク。合計317・85点で優勝した。

 自己ベストに肉薄する104・17点をマークしSP3位だった宇野は、フリーで冒頭の4回転ループで転倒したものの執念で立て直し202・73点。合計306・90点で、SP2位の元世界王者のハビエル・フェルナンデス(スペイン=26)をわずか1・66点上回り、銀メダルを獲得した。銅メダルはフェルナンデス。

 五輪初出場の田中刑事(23=倉敷芸術科学大大学院)はSP80・05点、フリー164・78点をマークして、合計244・83点。フリーでは五輪ではまだ1度も決まっていなかった4回転サルコ―は冒頭で見事に着氷し、意地を見せ、18位だった。

★★★

羽生結弦 日本勢冬季五輪11個目金メダル/一覧
nikkan 2018年2月17日14時13分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802170000218.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日◇男子フリー

 羽生結弦(23=ANA)が今大会日本勢初の金メダルを獲得した。冬季五輪での日本勢の金メダルはこれで11個目となった。

 冬季五輪の日本の金メダリストは以下の通り。
<72年札幌>
◇笠谷幸生(ジャンプ70メートル級)
<92年アルベールビル>
◇三ヶ田礼一・荻原健司・河野孝典(ノルディック複合団体)
<94年リレハンメル>
◇阿部雅司・河野孝典・荻原健司(ノルディック複合団体)
<98年長野五輪>
◇清水宏保(男子スピードスケート500メートル)
◇里谷多英(モーグル)
◇船木和喜(ジャンプ・ラージヒル個人)
◇岡部孝信・斉藤浩哉・原田雅彦・船木和喜(ジャンプ・ラージヒル団体)
◇西谷岳文(ショートトラック500メートル)
<06年トリノ>
◇荒川静香(女子フィギュア)
<14年ソチ>
◇羽生結弦(男子フィギュア)
<18年ピョンチャン>
◇羽生結弦(男子フィギュア)

★★★

羽生が五輪2連覇、宇野は銀 フィギュア男子
2018/2/17 14:17
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27053340X10C18A2000000/

 【平昌=原真子】平昌冬季五輪第9日は17日にフィギュアスケート男子フリーを行い、ショートプログラム(SP)1位の羽生結弦(ANA)が金メダルを獲得、前回ソチ大会に続く五輪2連覇を果たした。連続優勝はフィギュア男子では66年ぶりで、冬季五輪の個人種目では日本勢初の快挙。今大会の日本選手団初の金メダルにもなった。

 SP3位の宇野昌磨(トヨタ自動車)が銀メダル、同2位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)は銅メダルだった。田中刑事(倉敷芸術科学大大学院)は18位。

 羽生は4回転ジャンプを相次ぎ成功させるなど安定した演技で206.17点をマーク。SPとの合計で317.85点とした。宇野は冒頭の4回転ジャンプで失敗したが、羽生を上回る技術点を挙げ、合計306.90点とした。

 羽生は2017年11月、グランプリ(GP)シリーズ第4戦、NHK杯の公式練習でジャンプの着氷に失敗した際に右足関節外側靱帯(じんたい)を損傷。同大会を欠場し、5連覇が懸かっていた12月のファイナルも出場できなかった。今年1月にようやく氷上練習を再開し、五輪では団体への出場を回避。今回の個人種目が復帰後初の実戦だった。

★★★

羽生、ブランク感じさせない滑りで再び五輪王者に 世界を虜にした「若きレジェンド」
2018年2月17日14時25分 スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180217-OHT1T50139.html

 ◆平昌五輪第9日 ▽フィギュアスケート男子フリー(17日・江陵アイスアリーナ)

 フィギュア男子66年ぶりの連覇がかかるSP首位の羽生結弦(23)=ANA=は22番滑走でフリーに臨み、206・17点をマーク。16日に行われたSPとの合計を317・85点とし、金メダルを獲得した。

 右腕を突き上げ、「よし!」と叫んだ。大歓声が包んだ。平昌のリンクは羽生のためにあるのか。そう言いたくなるほど圧巻の演技で、23歳の王者が五輪史に新たな1ページを書き加えた。SP111・68点で発進して迎えたフリーでは、勝負曲「SEIMEI」に乗って206・17点をマークし、合計は317・85点。ソチに続く金は、待ちに待った今大会の「日本勢1号」だ。この種目では、1948年のサンモリッツ大会、52年のオスロ大会のバトン(米国)以来、66年ぶりのV2となった。

 冒頭の4回転サルコー、続く4回転トウループも鮮やかに決めた。ブランクを一切感じさせない滑りに、場内も手拍子で応えた。心配された後半も、最初は4回転サルコー―3回転トウループのコンビネーションを決めた。だが、その後に予定していた回転トウループの着氷でバランスを崩し、2本目を跳べないシーンも。最後の3回転ルッツでも体勢を崩したが踏ん張った。金メダルが確定すると、大粒の涙が流れた。

 昨年11月に、NHK杯の公式練習中に高難度の4回転ルッツに挑戦して転倒し、右足首を負傷。これが4か月ぶりの復帰戦だった。ようやく年明けに練習を再開したばかり。団体戦を回避し、個人戦に集中。周囲の不安をよそに、王者は王者だった。「僕はオリンピックを知っている。僕は元オリンピックチャンピオンなので」。絶対的な自信を胸に滑りきり、世界を虜にした。

 14年のソチ五輪で金メダル獲得後、絶対的な存在となった。「全体像としては間違いなく、ソチよりも成長した」と自負する。15年12月に2種類の4回転ジャンプを駆使して世界歴代最高の合計330・43点を出し、16年9月には世界初の4回転ループに成功するなど、「挑戦しないと僕らしい演技は絶対できない」との信念を貫いてきた。

 「全ての要素で驚異的な水準にある」とブライアン・オーサー・コーチ。4年前よりもジャンプの種類は引き出しが増え、表現力は磨かれ、総合力が格段に上がった。11年には出身地の宮城県を襲った東日本大震災、14年にはリンクでの衝突事故、腹部手術など逆境を乗り越えての頂点。繊細さと強靱さを兼ね備え、若くしてレジェンドとなった。

★★★

羽生金メダル!日本初の冬季五輪連覇、宇野銀メダル
nikkan 2018年2月17日14時30分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802170000393.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日◇男子フリー

 SP首位の羽生結弦(23=ANA)はフリー206・17点、合計317・85点で優勝し、日本選手第1号の金メダル獲得となった。

 昨年11月の右足首の負傷から復帰した今大会で、ソチ五輪に続く日本初の冬季五輪個人種目で連覇を達成した。

 昨季の世界選手権2位でSP3位の宇野昌磨(20=トヨタ自動車)は同202・73点、合計306・90点で銀メダルを獲得した。

 SP20位と出遅れた田中刑事(23=倉敷芸術科学大大学院)は同164・78点、合計244・83点で18位だった。

 SP2位のハビエル・フェルナンデス(26=スペイン)は、4回転サルコーが2回転に。その後はうまくまとめたが同197・66点、合計305・24点で銅メダルとなった。

 羽生は冒頭の4回転サルコーを綺麗に着氷すると、続く4回転トーループも高いジャンプから余裕の着氷。3回転フリップも決めた。「SEIMEI」の曲にあわせ全身大きく使い表現。4回転サルコー-3回転トーループも決めた。3連続ジャンプでは4回転でバランスを崩したがこらえた。最後のジャンプだった3回転ルッツでもバランスを崩した。演技後は喜びを爆発させ「ヤッター」と一声。ガッツポーズを見せた。

 宇野は最初の4回転ループで転倒。4回転フリップはミスなく着氷。3回転ループも決めた。途中のジャンプでは着氷時にバランスを崩すミスがあったものの最後の4回転となったトーループは成功した。その後のジャンプはうまくまとめた。演技後は少し苦笑いを浮かべた。

 田中は冒頭4回転サルコーをうまく着氷。4回転サルコー-2回転トーループは4回転で転倒。トリプルアクセルは綺麗に着氷した。曲に会わせ全身を大きく使いステップ。4回転トーループは着氷時にバランスを崩した。最後のジャンプを3連続にするなどリカバリーを見せた。演技後は、悔しそうな表情を一瞬見せた。

 2年連続世界選手権3位でSP4位の金博洋(20=中国)は、4本中3本の4回転を成功させ同194・45点、合計297・77点で4位。SP17位と出遅れたネーサン・チェン(18=米国)は、史上初の6度の4回転ジャンプに挑戦。途中で手をつく場面はあったが、5つのジャンプを決め同215・08点、合計297・35点で5位になった。演技後はやりきった表情を見せガッツポーズを見せた。

 SP5位のドミトリー・アリエフ(18歳=OAR)は序盤2度のジャンプの転倒がひびき同168・53点、合計267・51点で7位だった。

 ソチ五輪銀でSP6位のパトリック・チャン(27=カナダ)は、挑戦した4回転トーループが3回転トーループになり着氷でバランスを崩すなどで同173・42点、合計263・43点で9位に終わった。

★★★

金・銀に歓喜 羽生・宇野、抱き合い健闘たたえる
2018/2/17 14:37
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27053460X10C18A2CC0000/

 【平昌=桜田優樹】右足首の負傷から3カ月、絶対王者は鮮やかな復活劇を演じ、2度目の戴冠を果たした。17日の平昌五輪フィギュアスケート男子フリーで、羽生結弦選手(23)が圧巻の演技で、今大会日本勢1号の金メダルを決めた。ともに戦った宇野昌磨選手(20)も銀メダルを獲得。有力選手が演じた氷上の熱い戦いに、国内外から大きな声援が送られた。

 16日のショートプログラムで首位に立ち、フリーの演技を迎えた羽生選手は、最終グループの4番目、白色を基調にした衣装で登場。映画「陰陽師」の楽曲「SEIMEI」の笛の音に合わせて滑り始めた。

 冒頭の4回転ジャンプを奇麗に着地。華麗なステップ、スピンに加え、ジャンプを決めるたびに会場のボルテージは高まっていく。故障明けでスタミナが心配された後半、ジャンプの着地が乱れる場面には、会場から悲鳴も。両手を大きく広げて4分半の演技を終えると、余韻をかみしめるように下を向き、氷に向かってほえた。

 割れんばかりの拍手と歓声に包まれるなか、羽生選手は客席に向かってお辞儀。メダルが確定した瞬間、両手でガッツポースをした後、ホッとしたような笑顔を見せた。

 前日のショートプログラム3位でフリーを迎えた宇野選手。熱戦を締めくくる最終演技者として、青と金色の衣装で登場すると、プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の曲に合わせて滑り始めた。

 冒頭の4回転ジャンプでバランスを崩して転倒したが、その後は立て直し、情熱的なスピンやステップを踏む。演技後半に連続ジャンプを決めると、客席の声援も一段と大きくなった。右手を高く掲げて、演技を終えると、満足げな笑顔を見せ、出迎えた樋口美穂子コーチと強く抱き合った。

 羽生選手の金、宇野選手の銀が確定すると、2人は抱擁し互いの健闘をたたえた。

 国内各地ではパブリックビューイング(PV)が開かれ、熱戦を固唾をのんで見守った。

 東京都の港区スポーツセンターには都内外から約100人が集まった。羽生選手の演技前には「頑張れ」と拍手が起こり、祈るように顔や胸の前で手を合わせながら真剣な表情で大画面を見つめた。

 一挙手一投足に歓声や悲鳴があがり、終盤には手拍子をしながら盛り上がった。終了後にはハンカチで目元をぬぐう人の姿も。得点が出てメダルが確定すると「やったー」とガッツポーズが飛び出した。

 東京都杉並区から友人や娘と訪れた主婦(47)は右足首の負傷後の出場に「出てくれただけでもうれしかった」と涙目。「おめでとうという言葉だけ。演技構成も柔軟に変えていて何もかも素晴らしかった」と絶賛していた。

 宇野選手が通う中京大がある愛知県豊田市でのPVでは約280人が宇野選手の銀メダル獲得に沸いた。同県みよし市の高校1年、木戸真梨子さん(16)は同級生ら2人と駆け付けた。「宇野選手らしい最高の演技が見られた。うれしすぎて言葉にできない」と涙をぬぐった。

★★★

羽生結弦、金メダル獲得「右足が頑張ってくれた」
nikkan 2018年2月17日14時53分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802170000437.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日◇男子フリー

 SP首位の羽生結弦(23=ANA)はフリー206・17点、合計317・85点で優勝し、日本選手第1号の金メダル獲得となった。

 昨年11月の右足首の負傷から復帰した今大会で、ソチ五輪に続く日本初の冬季五輪個人種目で連覇を達成した。

 羽生は「たくさんの方々がサポートしてくれて、滑ることが出来たので、この会場で滑れてホッとしている。自分がやりきれたかなと思うくらいの演技が出来たことが良かった。右足が頑張ってくれた。ケガのせいで練習できなかった事だとか、たくさんの方に心配をかけたと思うので今まで以上の応援があったと思うし、サポートがあったのでそういうものに恵まれていた。(直後に右足を触っていたのは)感謝です。感謝の気持ちだけです。(平昌に入るときは)構成がまだ定かではなかった。自分自身でもどういうふうにしたらいいのか、ベストなのが分からなくていろいろ悩んでいた。だからこそフリーはイメージしづらかった。ただ最終的に集中して、跳びたかったジャンプが跳べているので、とにかく良かった。(ルッツをこらえたのは)右足に感謝です」と話した。

★★★

羽生伝説 ケガ越え一層強く 66年ぶり連覇
2018/2/17 15:30
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27053640X10C18A2UUB000/

1948、52年五輪のディック・バトン(米国)以来、66年ぶりの連覇――。ソチからの4年間、羽生結弦はこの1点だけを見つめ、フィギュアスケート史に刻まれる偉業を成し遂げた。金メダルが決まった瞬間、泣きながら拳を握りしめた。

 昨年11月のNHK杯の公式練習で右足首をケガした。約4カ月ぶりの演技となったSPでは圧巻の帰還劇を演じて1位。しかし、演技時間3分足らずのSPに対し、フリーは約4分30秒。ジャンプの本数はSPの3要素に対し、フリーは8要素と負担が桁違いに違う。

 「何も描いていない。あしたのことをしゃべるつもりはない。あしたの調子次第」とSP後に語っていた羽生。ケガをした右足一本で踏み切るループは回避し、冒頭は4回転サルコー。SPに続いて鮮やかに着氷すると、続く4回転トーループも成功させた。

 後半の4回転―3回転も成功。最後の4回転ジャンプとなったトーループはステップアウトして連続ジャンプにできなかったが、続く3回転半ジャンプを3連続に変えてカバーした。

 「呼吸の仕方やジャンプ、スピン、全ての要素で自分らしく演じられるプログラム」。こう語るフリー「SEIMEI(映画『陰陽師』)」の力にも助けられて演じきると笑顔。日の丸が無数にはためくスタンドを興奮させた。

 「ソチ五輪で金メダルという結果もあった上で、この4年間、成長できる伸びしろをすごく多く感じてくることができた。ぜいたくな選手」と羽生は言う。そんな輝かしいスケート人生を照らす勲章を、新たにもう1つ手にした。

(原真子)

★★★

羽生結弦の金が冬季五輪の1000個目の金メダルに
nikkan 2018年2月17日15時39分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802170000471.html

 国際オリンピック委員会(IOC)は17日、フィギュア男子で羽生結弦(23)が取った金メダルが、冬季五輪の記念すべき1000個目の金メダルだと発表した。

 1個目は、24年シャモニー大会で、ジュートロー(米国)がスピードスケート男子500メートルで獲得した。94年をかけて、羽生のメダルに、歴史が刻まれた。

★★★

羽生結弦、連覇へ試練の4年間 順風満帆ではない軌跡
asahi 2018年2月17日15時40分
https://www.asahi.com/articles/ASL2J76G7L2JUTQP02Y.html?iref=pc_ss_date

 平昌五輪フィギュアスケート男子で66年ぶりの連覇を果たした羽生結弦にとって、ソチ五輪を制してからの4年間は、けがとの戦いでもあった。決して順風満帆ではなかったその歩みを振り返る。

【2014年11月】中国杯フリーの演技前の練習で中国選手と衝突。左太ももの打撲など5カ所にけが
【同12月】グランプリ(GP)ファイナルで2連覇。全日本選手権で3連覇した直後に「尿膜管遺残症」と診断され、手術を受ける
【15年3月】世界選手権で271・08点で2位。SP首位から逆転を許す
【同11月】NHK杯でSP106・33点、フリーで216・07点、合計322・40点。いずれも世界最高点を更新
【同12月】GPファイナルのSPで110・95点、フリーで219・48点、合計330・43点。いずれも世界最高点を更新し、3連覇達成。全日本選手権も4連覇達成
【16年4月】世界選手権で295・17点で2位。SP首位から12・04点差を逆転される
【同9月】オータム・クラシックのSPで4回転ループを史上初めて成功させる
【同12月】GPファイナルで史上初の4連覇を達成。全日本選手権はインフルエンザで欠場
【17年4月】世界選手権で321・59点で2度目の優勝。フリーで世界最高の223・20点を記録し、SP5位から10・66点差を逆転
【同10月】ロシア杯フリーで4回転ルッツを自身初成功
【同11月】NHK杯の公式練習で右足首を捻挫し欠場
【同12月】全日本選手権を欠場
【18年2月】平昌五輪で4カ月ぶりの公式戦

★★★

羽生 3月の世界選手権は未定「右足のケガがそんなに良くはないと思っている」
2018年2月17日 15:57
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000324000c.html
 フィギュアスケートの男子で66年ぶりに五輪連覇を達成した羽生結弦は試合後の会見で、代表に選ばれている世界選手権(3月21日開幕、イタリア・ミラノ)について、「まだ分からない。右足のケガがそんなに良くはないと思っている。今回かなり無理させてしまった」と話した。

 羽生は14年はソチ五輪を制した後、日本開催だった世界選手権でも金メダルを獲得。今は「跳べないジャンプ、できないエレメンツがある」とし、「(出場するかどうかは)もうちょっと考えたい」と話すにとどめた。

★★★

羽生 五輪3連覇は「今は考えていない」も現役続行で模索「滑りながら、いろいろ考えていけたら」
2018年2月17日 16:08
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000332000c.html

 フィギュアスケートの男子で66年ぶりに五輪連覇を達成した羽生結弦は試合後の会見で、北京五輪での3連覇については「今は特に次の五輪については考えていない。まず、足首が良くなってくれないと滑るのも難しくなる。完璧に治すのが一番」と答えた。

 だが、達成すれば1920年のアントワープ五輪、1924年シャモニー五輪、1928年のサンモリッツ五輪で優勝したギリス・グラフストローム(スウェーデン)以来となる3連覇については「そんなに甘くないのは知っている。この4年で相当レベル上がって、何回も何回もおいていかれた。頼もしい後輩もいるし、まだ辞めない素晴らしいスケーターもいるし」とし、「たぶん、もうちょっと滑ると思うけど、みんなと滑りながら、いろいろ考えていけたらと思う」と現役を続行しながら模索することを示唆した。

★★★

羽生結弦66年ぶり五輪連覇 宇野昌磨が銀 フィギュア
asahi 2018年2月17日16時22分
https://www.asahi.com/articles/ASL2K30RHL2KUTQP009.html

 平昌冬季五輪は17日、フィギュアスケートの男子フリーがあり、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(ANA)がフリーで206・17点を出し、合計317・85点で男子としては66年ぶりの五輪連覇を達成した。宇野昌磨(トヨタ自動車)は銀メダル。日本人2人の表彰台は史上初。

 羽生はフリーの冒頭で4回転サルコーで成功、続く4回転トーループも成功。演技後半では4回転サルコー―3回転トーループで18・99点を稼いだ。4回転トーループからの3連続ジャンプや3回転ルッツで失敗したが、ミスを最小限にした。演技後、「まずこの会場で滑ることができてほっとしているのと、あと本当に自分がやりきれたなと思うくらいの演技ができたことがよかったと思う」と話した。

★★★

羽生結弦66年ぶり五輪連覇 宇野昌磨が銀 フィギュア
asahi 2018年2月17日16時22分
https://www.asahi.com/articles/ASL2K30RHL2KUTQP009.html

 平昌冬季五輪は17日、フィギュアスケートの男子フリーがあり、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(ANA)がフリーで206・17点を出し、合計317・85点で男子としては66年ぶりの五輪連覇を達成した。宇野昌磨(トヨタ自動車)は銀メダル。日本人2人の表彰台は史上初。

 羽生はフリーの冒頭で4回転サルコーで成功、続く4回転トーループも成功。演技後半では4回転サルコー―3回転トーループで18・99点を稼いだ。4回転トーループからの3連続ジャンプや3回転ルッツで失敗したが、ミスを最小限にした。演技後、「まずこの会場で滑ることができてほっとしているのと、あと本当に自分がやりきれたなと思うくらいの演技ができたことがよかったと思う」と話した。

 SP3位の宇野は、冒頭の4回転ループで転倒したが、4回転フリップを成功させるなど立て直し、初の五輪で銀メダルを獲得。

 SP2位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)は予定していた3本の4回転のうち2度着氷し、フリーで197・66点、合計305・24点で銅メダルを獲得。

 SP4位の金博洋(中)は、フリーで4回転ジャンプを3度成功させて194・45点を出し、合計297・77点で4位。

 昨年末のグランプリファイナル王者のネーサン・チェン(米)が、フリーで6度の4回転ジャンプを試みて5度成功させるなど、215・08点を出し、合計297・35点で5位。チェンは、ショートプログラム(SP)でジャンプのミスが響き、82・27点で17位と出遅れていたが、会心の演技で巻き返した。

 SP20位の田中刑事(倉敷芸術科学大大学院)がフリーで冒頭の4回転サルコーを決めるなどして164・78点で合計244・83点で18位。

★★★

羽生結弦は冬季五輪通算1000個目の金メダル IOCが発表
2018年2月17日17時2分 スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180217-OHT1T50192.html

 フィギュアスケート男子で羽生結弦(23)が取った金メダルが冬季五輪史上通算1000個目の金となった。国際オリンピック委員会(IOC)が公式サイトで発表した。

 金メダル第1号は、1924年のシャモニー(フランス)大会でジュートロー(米国)がスピードスケート男子500メートルで獲得したもの。

 94年の歴史を経て、羽生が金字塔を打ち立てた。同サイトでは、羽生が両手を胸にあて感極まるシーンの写真とともに報じられた。日本勢では冬季五輪通算11個目の金メダルとなった。

★★★

羽生、金も限界に挑めなかった五輪 夢へ挑戦は続く
nikkan 2018年2月17日17時3分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802170000442.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日◇男子フリー

 ショートプログラム(SP)でトップに立った羽生結弦(23=ANA)がフリーでも206・17点で計317・85点で、ソチ大会に続き連覇を飾った。右足首故障からの復帰戦で、SPに続き、ほぼ完璧な演技を披露。フィギュアスケート史上66年ぶりの連覇、日本人として初の冬季五輪連覇を成し遂げた。

 演技を終えると、右手でガッツポーズを繰り返す。そして右足をいとおしそうにさわった。「右足に感謝しかないです」。大好きな「クマのプーさん」のぬいぐるみがリンクにあふれる中で、何度も観客に頭を下げた。待機所で金メダルを確認するとテレビカメラに向かって「ありがとうございました」と涙を流しながら言った。2位に入った宇野昌磨(20)とも抱き合い、日本人初のワンツーフィニッシュを喜んだ。

 羽生 とにかく右足が頑張ってくれた。たくさんの方々に心配をかけて、サポートをしていただいた。

 4年前の金メダルは、栄光の始まりにすぎなかった。15年11月のNHK杯で史上初のフリー200点超え、合計300点超えを達成するなど、この4年間で、ショートプログラム3度、フリー3度、合計点2度と8度世界最高点を塗り替えた。トーループとサルコーの2種類だった4回転の種類も増えた。16年9月には、世界で初めて4回転ループを成功。そして五輪シーズンの17年11月、ずっと挑んできた4回転ルッツにも成功した。世界ランキング1位も1度も譲らなかった。自らフィギュアスケート男子のレベルを引き上げ、その先頭に立った状態で、2度目の五輪に臨んだ。

 「劇的に勝ちたい」。そのために、合計世界最高点の330・43点を出した2季前と同じSP、フリーを選んだ。さらに4回転は、自身最多のSP2本、フリー5本の計7本。最高難度のプログラムに挑戦するプランは、右足首のケガで狂った。跳びたかった4回転ルッツとループは回避。勝利のために4本に抑えた。

 4回転ルッツに成功した今季のロシア杯では、自分がなぜ難しいジャンプに挑むのか、こう答えていた。「今の最高得点はサルコーとトーループのみで勝ち取っている。そうすれば、ほぼすべての大会でノーミスできると思う。ただ、それをしてしまうと、自分がスケートをやっている意味がなくなっちゃう気がして…。スケートって芸術性も大事だし、そういうところに特化したいという気持ちももちろんあるんですけど、それじゃ試合じゃないだろうというのが僕の気持ち。僕にとってはジャンプは相棒的なもの」。

 2度目の五輪は、自分の限界に挑めなかった。まだ23歳。いつか、「試合で4回転アクセルを跳びたい」という夢に向かい、挑戦は続く。

★★★

羽生、冬季五輪1千号の金メダル 999号と30分違い
asahi 2018年2月17日17時20分
https://www.asahi.com/articles/ASL2K571FL2KUTQP02B.html

 日本の羽生結弦(ANA)が金メダル、宇野昌磨(トヨタ自動車)が銀メダルを獲得した17日のフィギュアスケート男子。羽生が手にした金メダルは、冬季五輪の通算1千号だった。「999号」から遅れること約30分。羽生の名は「66年ぶり連覇」という競技の歴史だけでなく、五輪史にも刻まれることになった。

 国際オリンピック委員会(IOC)の公式ホームページによると、最初の種目は1924年にフランスのシャモニーで行われた第1回冬季五輪のスピードスケート男子500メートル。チャールズ・ジュートロー(米)が金メダル第1号に輝いた。ただ、開催時は「冬季競技週間」という位置付けで、大会自体が冬季五輪と認定されたのは翌25年のIOC総会。ジュートローが記念すべき金メダリスト第1号になったのもこの時だった。

 報道陣から記念のメダルについて問われた羽生は「金メダルは金メダル。いろんなことを犠牲にしてきたご褒美だと思っている」。ちなみに金メダル999号は、この日午後1時半ごろ優勝が決まったアルペンスキー女子スーパー大回転のエステル・レデツカ(チェコ)だった。

★★★

フィギュア羽生、現役続行の意思表明「もうちょっと滑る」
2018/2/17 17:32
https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK60769_X10C18A2000000/

 【平昌=共同】平昌冬季五輪フィギュアスケート男子の羽生結弦選手(ANA)が17日、優勝後の記者会見で、現役続行の意思を表明した。3連覇へ意気込みを問われ「今は特に次の(2022年北京)五輪については考えていない。そんなに甘くないのは知っている」とした上で「もうちょっと滑ると思う。みんなと一緒に滑りながら、またいろいろ考えていけたら」と話した。

 2連覇が懸かる世界選手権(3月21~24日・ミラノ)出場は「まだ分からない。やはり(昨年11月に負った)右足(首)のけががそんなに良くはないと思っているので」と態度を保留した。

 平昌五輪後の現役続行は、昨年10月のロシア杯後に示唆していた。

★★★

羽生結弦、現役続行の意向 「もうちょっと滑ると思う」
asahi 2018年2月17日17時52分
https://www.asahi.com/articles/ASL2K5SF3L2KUEHF00F.html?iref=pc_ss_date

 平昌五輪のフィギュアスケート男子で2連覇を達成した羽生結弦(ANA)は17日、競技後の記者会見で、今後について聞かれ、「もうちょっと滑ると思う」と、現役続行の意向を表明した。

羽生は「(2022年の北京五輪での)3連覇への意気込みは」と聞かれると、「今は特に、次の五輪については考えていない。まず(負傷した右の)足首がよくなってくれないとスケートを滑ることさえ難しいと思う。完璧に治す」と話した。その上で、「もうちょっと滑ると思うけど、みんなと滑りながらまたいろいろ考えたいと思っています」と語った。

★★★

羽生は冬季五輪通算1000種目目の優勝者 日本のメダル総数は早くも9個
2018年2月17日 17:58
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000376000c.html

 フィギュアスケート男子で連覇を達成した日本の羽生結弦(23)が冬季五輪通算1000種目目の優勝者となった。

 五輪公式サイトが伝えているもので、第1回シャモニー大会(1924年=フランス)で米国のチャールズ・ジュートローがスピードスケート男子500メートルを制してから、94年の歳月を費やして4ケタの大台到達。個数としては通算1006個目となった。

 日本のメダル個数は9(金1、銀5、銅3)で、海外で開催された冬季五輪1大会での獲得数としては最多。1998年の長野大会の10個(金5、銀1、銅4)にあと「1」と迫っている。

 日本が冬季五輪で獲得した金メダルは通算11個目。国別最多はノルウェーの124個、2位の米国(101)はスノーボード男子ハーフパイプで優勝したショーン・ホワイト(31歳)の金メダルが通算100個目となった。

★★★

羽生の金、各国で報道 ロシア「日本の神」韓国「フィギュアの王様復活」
2018年2月17日 18:27
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000390000c.html

 平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で羽生結弦選手が優勝したことについて、各国メディアは「フィギュアの王様が完全復活」(韓国・聯合ニュース)などと大きく報じた。

 「日本のスーパースターが66年ぶりに五輪2連覇を達成」。中国メディアは、羽生選手を「歴史に名を残した」とたたえた。昨年に右足首を負傷したにもかかわらず「驚嘆すべき技術と演技」(国営通信、新華社)を見せたと紹介。別のインターネットメディアは「氷上の優美さの陰に、剛毅さを隠し持っている」と評した。

 国営ロシア通信は「日本の神。フィギュアスケーター羽生が金」と報道。かつて浅田真央さんを指導したタチアナ・タラソワ氏はロシアのテレビ生中継で解説し、羽生選手がジャンプの着地で転倒せずに持ちこたえるたびに「立て」と声を送り、演技を終えると「1位だ。美しい」と称賛した。

 聯合ニュースは羽生選手が「現役選手のうち、議論の余地なく最強」としてこれまでの軌跡を紹介し、「実力だけでなく、アイドルのような外見でも多くのファンを獲得した」と伝えた。

 ロイター通信はジャンプでいくつかのミスがあったと指摘しつつ「金(メダル)にふさわしいパフォーマンス」を披露したと報じた。

 羽生選手と優勝を争ったスペインのハビエル・フェルナンデス選手は銅メダル。民放ラジオ「カデナセル」(電子版)はフェルナンデス選手について「歴史に名を刻んだ」と高く評価した。

★★★

フェルナンデス、チェン 羽生をライバルも称える 米紙は「この世のものとは思えない優美さ」
2018年2月17日 18:44
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000407000c.html

 フィギュアスケート男子で66年ぶりとなる五輪2連覇を達成した羽生結弦(ANA)について、海外のライバル選手やメディアから称賛が相次いだ。

 5位となった18歳のネーサン・チェン(米国)は「彼は偉大なスケーター。ここ数年で競技を変えた存在だ」と五つ年上の王者に脱帽した。羽生と同じブライアン・オーサー・コーチに師事する3位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)は「お互いにどれほど努力し、練習してきたのかは分かっている」と結果に納得の表情だった。

 米ニューヨーク・タイムズ(電子版)は「2連覇に必要なスタミナ、ジャンプ力、しなやかなスピン、そしてこの世のものとは思えない優美さを披露した」と絶賛した。英紙ガーディアン(電子版)は「スケート界最大のスターが、けがをした状態から、考えられる中で最高の復活劇を演じた」と伝えた。

★★★

羽生結弦「漫画の主人公にしても出来過ぎ」
2018年02月17日 19時31分
http://www.yomiuri.co.jp/sports/Yuzuru-Hanyu/news/20180217-OYT1T50087.html

 平昌五輪第9日の17日、フィギュアスケート男子で連覇を果たした羽生結弦(ANA)が記者会見した。

 昨年11月に右足首の靱帯損傷というけがを乗り越えて優勝したことについて次のように語った。

 「開き直るしかないと思っていた。けががひどくて、練習がなかなかできなかった。漫画の主人公にしても出来過ぎなぐらい。でもこうやって金メダルを取って、たくさんの方々に応援してもらって、色んな方々にスケートを見てもらって。こんなに幸せなことはない。人生として考えたら、なんか変だな、と思う」

 また仙台市出身の羽生は、被災地への思いを聞かれて、「自分が金メダルを持って被災地の方々にあいさつをした時にたくさんの笑顔が見られた。今度はちょっと自信を持って、みなさんにまた笑顔になってもらえたらいい」と話した。

 今後については、「次のオリンピックについては考えていない。もうちょっと滑ると思うけど、みんなと一緒に滑りながら考えていけたら」と話すにとどめた。

★★★

羽生 表彰式で満面の笑み「生きていて良かった」宇野は「思ったより盛大でビックリ」
2018年2月17日 20:02
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/17/kiji/20180217s00079000445000c.html

 平昌五輪は17日、フィギュアスケート男子フリーが江陵アイスアリーナで行われ、ソチ五輪・金メダルの羽生結弦(23=ANA)が206・17点をマーク。前日のショートプログラム(SP)111・68点と合わせ、計317・85点で金メダルを獲得。五輪男子66年ぶりの2連覇を達成した。

 これが日本の今大会金メダル第1号。宇野昌磨(20=トヨタ自動車)も計306・90点で銀メダルを獲得し、フィギュアで初となる日本人ワンツー表彰台となった。

 同日夜には表彰式が行われ、銅メダルのハビエル・フェルナンデス(26=スペイン)を加えた3人で登場。羽生は飛び上がって表彰台の中央に立った。

 表彰式後、羽生はインタビューに答え、「自分で真ん中に上げた国旗は2回目ですが、感慨深いものがある」と語った。また、昨年11月に右足首の靱帯を損傷した時には「スケートが滑れるかというより、スケートをやめなければいけないのでは、とまで考えた。非常に苦しい時期だった」と明かし、それを乗り越えて再び金メダルを獲得したことで「やっぱり生きていて良かったなと思える瞬間の一つ」と喜びを表し、ファンに向けても「自分の人生で1番幸せな瞬間を過ごさせていただいている」と感謝した。

 また、宇野は表彰台から見る景色を聞かれると「表彰式はもっとこじんまりしたところでやると思っていたので、思ったより盛大でビックリしました」と初々しく答えていた。

★★★

「日本の神」羽生結弦V2をロシアなど大々的に報道
nikkan 2018年2月17日21時34分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802170000732.html

 平昌冬季五輪(ピョンチャンオリンピック)のフィギュアスケート男子で羽生結弦選手が優勝したことについて、各国メディアは「フィギュアの王様が完全復活」(韓国・聯合ニュース)などと大きく報じた。

 「日本のスーパースターが66年ぶりに五輪2連覇を達成」。中国メディアは、羽生選手を「歴史に名を残した」とたたえた。昨年に右足首を負傷したにもかかわらず「驚嘆すべき技術と演技」(国営通信、新華社)を見せたと紹介。別のインターネットメディアは「氷上の優美さの陰に、剛毅(ごうき)さを隠し持っている」と評した。

 国営ロシア通信は「日本の神。フィギュアスケーター羽生が金」と報道。かつて浅田真央さんを指導したタチアナ・タラソワ氏はロシアのテレビ生中継で解説し、羽生選手がジャンプの着地で転倒せずに持ちこたえるたびに「立て」と声を送り、演技を終えると「1位だ。美しい」と称賛した。

 聯合ニュースは羽生選手が「現役選手のうち、議論の余地なく最強」としてこれまでの軌跡を紹介し、「実力だけでなく、アイドルのような外見でも多くのファンを獲得した」と伝えた。

 ロイター通信はジャンプでいくつかのミスがあったと指摘しつつ「金(メダル)にふさわしいパフォーマンス」を披露したと報じた。

 羽生選手と優勝を争ったスペインのハビエル・フェルナンデス選手は銅メダル。民放ラジオ「カデナセル」(電子版)はフェルナンデス選手について「歴史に名を刻んだ」と高く評価した。

★★★

羽生「震災があって今がある」 支えてくれた人々に感謝
asahi 後藤太輔、高浜行人 2018年2月17日23時42分
https://www.asahi.com/articles/ASL2K05B4L2JUTIL08D.html?iref=pc_ss_date

 2011年3月の東日本大震災。羽生結弦は、仙台市のアイスリンク仙台で練習していた。大きな揺れを感じ、スケート靴を履いたまま外へ。避難所生活を送った。リンクは氷がつくれなくなり、閉鎖。以前習っていた都築章一郎コーチ(80)を頼り、横浜市のリンクに。練習中に余震があると、羽生だけ外へと逃げた。都築さんは「恐怖感が脳裏にある」と感じた。

 当時、練習の代わりに各地のアイスショーに出場した。新潟県、石川県、福岡県……。11年11月まで、約60回に上った。

 うち十数回を主催したイベント会社CIC(東京都)の真壁喜久夫社長(60)は「ショーなので、絶対転んではいけない。多くのお客の前でミスなく滑ることが求められる」。集中力が必要な環境で、羽生は成長した。平昌五輪の会場で連覇を見届けた真壁さんは「ソチ(五輪)ではジャンプで転んで悔しそうにしていたが、今回はよろけても踏ん張った。こんなにうれしいことはない」。

 羽生は昨年8月、報道陣の取材にこう答えていた。「あれ以上、苦しいことも悲しいことも不便なこともない。つらいときでも乗り越えられるきっかけになった。震災があったから今がある」

 中学、高校時代の羽生にジャンプを教えた仙台市出身の田中総司さん(35)は「震災はつらいことだけど、逆にパワーになった。あいつのスケーターとしての実になった」と話す。アイスショーで訪れたリンクで歓迎され、合間に練習時間を確保してくれた。羽生は当時、感謝の言葉を繰り返していたという。滑れること、支えてくれること、応援してくれること。苦しい練習でも、息が続かなくなるフリーの終盤でも、笑顔があった。

 羽生は連覇後の会見で震災について問われると、10秒ほど間を置いてからこう言った。「本当に大変な日々でした。ソチでもこのような質問をされてどう答えていいかわからなかった自分がいて、今もそのときの自分に何て言ったらいいかわからない」。そしてこうも語った。「(ソチ五輪で)金メダルを持って被災地の方々にあいさつしたときにたくさんの笑顔が見えた。今度はちょっと自信をもって、皆さんに笑顔になってもらえたら」(後藤太輔、高浜行人)

★★★

羽生、不屈の王者 全身全霊 世界酔わす
大技を封印 勝負に徹す
2018/2/17 23:55
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27060050X10C18A2UU3000/

 演技を終えると羽生は指で「1」を作り、氷を何度もなでた。後ろにフェルナンデスと宇野が残っていたが、「自分が勝った」と確信できた。

 SPから1日。演技時間が2分近く長くなるフリーを前に、羽生は決断を迫られていた。「そんなによくない」右足首の状態と、勝つために最適な演技構成のどこで折り合いをつけるか。当日朝、一人で決断した。4回転は右足で踏み切る大技のループを封印し、サルコーとトーループで勝負する――。

 ジャンプ構成は4回転のサルコーとトーループを2本ずつ。ルールで3種類以上のジャンプを2度跳ぶことはできない。SPで全審判から満点3の加点を与えられた得意のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を2回入れる選択肢もあったが1回にした。頭にあったのは、SP3位で追ってくる宇野の構成だ。

 4回転ジャンプを3種類で計4本、トリプルアクセル2本を入れる。基礎点の合計は羽生より10点以上高い。自分がミスを犯し、宇野に完璧な演技をされたら危うい。かといって、4回転のループやルッツはリスクが大きすぎる。「『跳びたい』ではなく、何よりも『勝ちたい』と思った。この試合は勝たないと意味がないと思っていた。今回は、本当に大事に結果を取りにいった」

 やるべきことが決まれば、あとは迷いなく演じるだけだった。朝の公式練習でも6分練習でも成功率の低かった冒頭の4回転サルコー。「いろんなことを分析して、自分の感覚とマッチさせられるのが自分の強み。だから爆発力が出る」。丁寧に決めて3点の加点を引き出すと、続く4回転トーループも3点もらう美しい着氷。自信がにじみ出るジャンプだった。

 色々考えながら演技しているからだろう、陰陽師らしいミステリアスな雰囲気はこれまでで一番出ていた。プログラムが進むにつれ、「気」が会場に満ちていく。

 頂点への渇望がどれほどか試された後半。4回転トーループの着氷が詰まったあたりから、本来の美しい着氷が乱れ始める。最後のジャンプは負傷した右足をついて跳ぶ3回転ルッツ。「右足が頑張ってくれた」。転倒しそうになりながらこらえ、最後のコレオシークエンスも乗り切った。

 自己最高得点から17点も低い。現状に安住せず、常に新しい技に挑んできた王者からすれば、勝負に徹する戦いはポリシーに反するかもしれない。ただ、そうまでして勝ちたい五輪だった。

 この日だけを夢見てきたソチからの4年。「短かったといえば短かった」。毎年のようにケガや病気に見舞われ、最後に一番大きな試練が待っていた。「(ケガの多さは)それだけ、フィギュアスケートに勇気を持って恐れず接してきたからこそです」。羽生らしいきっぱりとした言葉に、成し遂げた偉業への誇りがにじんだ。(原真子)

★★★

羽生伝説は続く…次なる夢は「4回転アクセル」 実現の可能性は?
daily 2018.02.18
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/18/0010995813.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(17日、江陵アイスアリーナ)

 ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=が206・17点をマークし、合計317・85点で男子では1948年サンモリッツ、52年オスロ大会のリチャード・バットン(米国)以来、66年ぶりの2連覇を成し遂げた。今大会日本選手団第1号の金メダルは、冬季五輪1000個目の金メダル。右足のケガからの復帰戦ながら最後まで意地の演技で耐え続け、日本選手として冬季五輪の個人種目で初めて連続で頂点に立った。

 勝負のフリーを迎える朝、羽生は決断した。4回転は2種類-。「なによりも勝ちたかった。勝たないと意味はないと自分の中で思っていた。この試合は特に。本当に大事に大事に結果を取りにいった」。3種類目のループを回避し、勝負に徹する覚悟を固めた。

 振り返れば羽生は、ソチ五輪以降多くのタイトルを獲得しても、挑戦をやめることはなかった。むしろ誰よりも自分自身に期待を懸け、自身を追い込み、自らを頂点へと引き上げようとしてきた。15年に330点といういまだ破られていない世界歴代最高得点を記録しても、4回転ループやルッツへ挑戦した。

 打倒羽生を達成するにはより難しい4回転を跳ぶしかないと、金博洋(中国)が4回転ルッツを跳んだのを皮切りに、宇野やネーサン・チェン(米国)ら若手選手は次々と基礎点の高い4回転を跳んだ。開かれた異次元の戦いは、元来羽生が求めてきた形だ。「みんなで切磋琢磨(せっさたくま)して押し上げてきた。これからのスケートが楽しみ」と羽生。自身へ向けても「挑戦しないと僕らしい演技はできない」と語った。

 そんな羽生がこの日跳んだのは、結局2種類のみだが「今日のベストを尽くした」。歩んできたこの道のりは、正しかったと確信している。「それ(挑戦)があったからこそ選択肢があった。ルッツ、ループに挑戦していなかったら、この構成が落としたといえない。落としたという自信にならない。やっぱり一つとして無駄なことはなかった」。全ての経験が、連覇という偉業を引き寄せた。

 3連覇の懸かる4年後の北京五輪については「今は特に考えていない」と濁したが「もうちょっと滑ると思うけど、みんな一緒に滑りながら、また色々考えていけたらと思う」と現役続行を表明した。昨年10月には「将来的には4回転アクセルをやりたい」とも語っている。これはかねて羽生が描き続けてきた夢だ。

 バンクーバー五輪代表監督で千葉大の吉岡伸彦教授は「理論上は5回転まで可能」としている。羽生ら多くの4回転ジャンパーは、1秒間に5回転できる回転速度と、約0・8秒の滞空時間で4回転を回っている。回転速度をもう少し速めるか、滞空時間を1秒まで延ばせれば、計算の上は可能になるのだ。

 いまだ成功者のいない4回転アクセル。トリプルアクセル習得など、羽生の基礎を築いた都築章一郎コーチは「試合に入れるまで持って行けるかというのが頭の中に働くと思う。挑戦よりも結果にエネルギーを使わないといけない立場の人間だから」とおもんぱかる。羽生の野望は果たして-。挑戦を生きがいとする羽生が繰り出す次の“一手”が待たれる。

★★★

“僕はアイドルじゃない” 孤独と向き合った羽生の4年間
daily 2018.02.18
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/18/0010995815.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(17日、江陵アイスアリーナ)

 ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=が206・17点をマークし、合計317・85点で男子では1948年サンモリッツ、52年オスロ大会のリチャード・バットン(米国)以来、66年ぶりの2連覇を成し遂げた。孤高の王者-。羽生にはその称号がよく似合う。この4年間、孤独との闘いが、羽生を強くした。

 ソチ五輪前年から仙台を離れ、練習拠点であるカナダ・トロントで生活。日本では熱狂的なファンが増え、行く先々で人に囲まれた。羽生は自らを「勝負師」と語るほど勝利を欲するアスリートの魂を持ち合わせているが、次第に環境は変わった。

 試合会場で気が休まる瞬間はなく、四方から降り注ぐ視線と黄色い歓声に戸惑いもあった。「常に緊張はしています。どこでも気が抜けない。ときどき、芸能人とかアイドルみたいな感じになって、違うなって思うことはあるけど…」

 心が弱ったとき、調子が上がらないとき、結果が出ないとき-。大勢の人が自らを取り囲むからこそ抱く“孤独”に、何度も心を折られそうになった。理想の自分と現状とのギャップにも苦しんだ。それでも、スケートから逃げようとはしなかった。むしろ羽生が選んだのは、ひたすらスケートに向き合う道だった。

 「スケートって、自分のツラいことや逃げたいことを忘れることのできる場所でもある。そういう意味では、スケートに頼りきりです。スケートがないと心がつぶれそうなこともたくさんある」。自らを孤高の地位へといざなったスケートは一方で、羽生を支える唯一無二の存在でもあった。

 そして万感の演技を終えた羽生は振り返って言った。「(自分を)褒める部分はないと思うけど、何よりも今日も滑って、やっぱりスケートやっててよかったなって思った」。迷い、悩み、もがきながらもたどり着いたスケートへの愛情が、再び羽生を世界の頂点へと導いた。

★★★

【振付師・宮本賢二の解説】3回転ルッツに表れた金メダルへの強い意志
daily 2018.02.18
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/18/0010995824.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(17日、江陵アイスアリーナ)

 ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=が206・17点をマークし、合計317・85点で男子では1948年サンモリッツ、52年オスロ大会のリチャード・バットン(米国)以来、66年ぶりの2連覇を達成。宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=が銀メダルに輝き、日本勢のワンツーフィニッシュとなった。銅メダルはハビエル・フェルナンデス(スペイン)。

  ◇  ◇

 【振付師・宮本賢二のエンジョイ!!フィギュア】

 羽生選手の演技には感動で言葉が出なかった。後半はかなりきつそうでスピードが落ちそうになったが、金メダルへの強い意志を感じたのが最後のジャンプ、3回転ルッツだ。

 ここでは着氷時に回転が止まらずオーバーターンになりそうだったが、左脚を横に止めて、さらに前にもって行こうとした。普通ならフリーレッグ(着氷していない方の左脚)が後ろに行ってしまい、オーバーターンになって曲に間に合わなくなる。しかし、羽生選手はそれを防ぎ、しかも「絶対に手をつかない」と流れを戻そうとした。思い続けてきたソチ五輪の悔しさを晴らすため、最後までやりきったのだと思う。

 10代の頃からいつも笑顔の少年が、練習になると一変して眼光が鋭くなった。振り付けをしている時も、自分が納得できるまで何度もやり直す。こちらがこれくらいでいいんじゃないかと思っても、30分もすれば「賢二先生、もう一度やっていいですか?」と戻ってきた。

 ジュニアの選手は特にジャンプの練習時間が増えがちだが、彼はスケーティングやフリーレッグの位置など地味な動きへのこだわりも強かった。その姿勢は、今のプログラム全体の完成度にもつながっているのだろう。

 宇野選手の銀メダルも見事だった。インタビューで冒頭のジャンプ失敗に「笑えてきた」と言っていてこちらも笑ってしまったが、とにかく精神的な自己管理がすばらしかった。吸い付くようなスケーティングにジャンプの確実性も高い。腕の使い方もメリハリがよく多ジャンルの曲をこなせるため今後がさらに楽しみだ。田中選手も失敗はあったが、4回転サルコーに成功し、トーループの着氷でこらえた姿は感動的だった。胸を張って帰ってきてほしい。

 今大会では5本の4回転に成功したチェン選手など多くが数種類の4回転を入れた。すでにクワッドアクセル(4回転半)を練習している選手もいて、試合で挑む選手も出てくるだろう。

 振付師としては、以前は4回転の直前にスピードを出す必要があり、ステップなどは滑りやすいように少しシンプルな振り付けにしていた。しかし、今はぎりぎりまで動きを入れられる。4回転を何種類何本跳ぶかだけでなく、芸術面、表現面でも高いレベルが要求される時代だ。羽生選手の連覇は、それを体現したものだった。

★★★

フェルナンデス銅!盟友羽生を祝福 「互いの努力を知っている」
daily 2018.02.18
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/18/0010995827.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(17日、江陵アイスアリーナ)

 ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=が206・17点をマークし、合計317・85点で男子では1948年サンモリッツ、52年オスロ大会のリチャード・バットン(米国)以来、66年ぶりの2連覇。SP2位の元世界王者ハビエル・フェルナンデス(スペイン)は合計305・24点で銅メダルを獲得した。

 集大成と決めた最後の五輪で、スケート人生のすべてを込めた舞を披露した。元世界王者のフェルナンデスはスペインが舞台のミュージカル「ラ・マンチャの男」を軽快にかつ、情熱な滑りで観衆を魅了。後半のジャンプにミスが出て、頂点こそ逃したが、スペイン勢初メダルとなる銅メダル。「完璧ではなかったけど、メダルを取れて、とてもうれしい。スペインのフィギュアスケートにとって特別な日になった」と、晴れ晴れと笑った。

 順位が決まると、同じオーサー・コーチに師事する羽生と抱き合い、涙を流し合った。「長い間一緒に練習してきたし、互いがどれだけ努力してきたかを知っている。彼と表彰台に乗るのはうれしい」と、盟友と喜びを分かち合った。

 「本当にいい日だった。もう26歳だし、次の五輪で戦うことはもうできない」と、改めて“ラスト五輪”を明言。時にコミカルに、時に情熱的に、羽生の友人、そしてライバルとして氷上を沸かせてきた個性派が夢舞台での戦いを終えた。

★★★

羽生、涙の五輪連覇 “氷に乗ることの不安”乗り越えた魂の4分半
daily 2018.02.18
https://www.daily.co.jp/olympic/2018/02/18/0010995809.shtml

 「平昌五輪・フィギュアスケート男子・フリー」(17日、江陵アイスアリーナ)

 ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=が206・17点をマークし、合計317・85点で男子では1948年サンモリッツ、52年オスロ大会のリチャード・バットン(米国)以来、66年ぶりの2連覇を成し遂げた。今大会日本選手団第1号の金メダルは、冬季五輪1000個目の金メダル。右足のケガからの復帰戦ながら最後まで意地の演技で耐え続け、日本選手として冬季五輪の個人種目で初めて連続で頂点に立った。

 この瞬間だけを信じていた。広がっていたのは、4年間待ち望んでいた光景。太鼓の音色に導かれるように両手を広げて演技を終えると、羽生は天高く人さし指を突き上げた。「勝った」-。心の底で確信した。「何より自分に勝てた」。声にならない感情が、叫びとなってリンクにこだまする。鎮痛剤を打ち、テープを入念に巻いた右足首を両手でさすり、右膝をついて氷を3回コンコンコンとたたいた。金メダルが確定すると「色んな思いがこみ上げてきた」。涙があふれて止まらなかった。

 羽生結弦の魂が宿った4分半だった。冒頭の4回転サルコーに始まり、繰り出される技の全てが、俺が王者だと物語っていた。昨年11月に痛めた右足首の影響は、最後まで引きずった。曲を通す練習もままならなかったが「勝ちたい」。その執念だけで耐え、「SEIMEI」に思いをぶつけた。

 「最初に診断してもらったじん帯損傷だけでなく、本当に色んなところを痛めていて、氷に上がれない日が長かった。体力よりも氷に乗ることへの不安が大きかった」。無理を押しての出場だった。

 今回のケガはもちろん、苦難と隣り合わせの4年間を過ごしてきた。14年中国杯の衝突事故では下あごを7針縫ったのをはじめ計5カ所を負傷。同年末には腹部を手術した。捻挫は何度も繰り返し、風邪はしょっちゅう。一昨年の全日本選手権はインフルエンザで欠場を余儀なくされた。「ケガばっかりですね。でもそれだけ勇気を持ってチャレンジしてきたから」。困難に直面しても、羽生が折れることはなかった。

 それは羽生の根源に常に一つの記憶があるから。2011年3月11日、故郷仙台を襲った大きな揺れ。自宅は全壊し、4日間避難所で過ごした。リンクは休業。全国をアイスショーで回ったが、その間もスケートを続けることと葛藤した。あの苦しさを知るからこそ、羽生の心は尋常でないほど強く、美しい。

 「あれ以上悲しいことはないと思っているんですよ、いまだに。あれ以上苦しいことも悲しいことも不便なこともない。だからつらいとき、苦しいときでも乗り越えられるきっかけ。あれがあったから今がある」。4年前、金メダルとともに凱旋したときに向けられた笑顔は今も忘れない。「今度はちょっと自信を持って、また笑顔になってもらえたらいいな」とはにかんだ。

 「とにかく劇的に勝ちたい」と豪語していた羽生が紡いだ、奇跡であり必然の復活劇。あまりにも劇的なエピローグに「人間としての人生を考えたらなんか変」と自ら笑ったが「漫画の主人公にしてはちょっとできすぎなぐらい(困難な)設定が色々とあって、でもこうやって金メダルをとって…。こんなに幸せなことはない」と胸を張った。まばゆく光る金メダルが誰よりもよく似合う。羽生結弦は間違いなく、伝説として語り継がれる氷上のヒーローだ。

★★★

<平昌五輪>66年ぶりの五輪連覇 羽生万感、王者の意地漂う風格
kahoku 2018年02月18日日曜日
https://www.kahoku.co.jp/special/spe1192/20180218_02.html

 演技を終えるとすぐ、右手の人さし指を突き上げて雄たけびを上げた。宇野とフェルナンデスを残していたが、羽生は勝利を確信していた。
 66年ぶりの五輪2連覇。「こんなに幸せなことはない」。泣き笑い、抑えていた感情があふれた。
 前半の4回転で稼いだ。冒頭のサルコー。「これさえ降りれば、後半もいける。丁寧にいった」。直前練習は感触が悪かったが、出来栄えで3点満点の最高の出だし。続くトーループも満点の出来栄え。軸が細く、鋭い回転音が聞こえてきそうな勢いがあった。
 昨年11月に負傷した右足首の状態は悪いままだと試合後に明かした。4カ月ぶりの実戦でスタミナにも問題があったのか、終盤はらしくないミスが出た。
 4回転トーループからの3連続ジャンプは着氷が乱れ、単独ジャンプに。2度目のトーループとなり、基礎点が7割に減らされた。最後の3回転ルッツは着氷で大きく体勢を崩した。
 それでも転倒を免れたところが精神力の強さの表れだ。「右足がよく頑張ってくれた」。王者の意地だった。演技構成点は当たり前のように全5項目で9点台後半。和の音にはまり、見る者を引き込んだ。
 4回転ループは回避した。ショートプログラム(SP)はサルコーとトーループの2種類で高評価を得て自信を持っていた。けがでリンクを離れていた時、「勝つために」と練り上げた作戦だった。
 ルッツに挑み負傷し、ループまでも失った。それでも挑戦は糧になっている。難しいものに挑んできたから、サルコーとトーループの構成に自信を持てた。「やっぱり一つとして無駄なことはなかった」と言い切った。
 ソチ大会後、多種類の4回転が注目を集めてきた。ひとまず今大会は、量より質が上回った。試合後の記者会見で現役続行を表明した。もうしばらく、至高の演技を見られそうだ。(平昌=佐藤夏樹)

★★★

<平昌五輪>羽生復活、連覇 勝負師、壁越えた
kahoku 2018年02月18日日曜日
https://www.kahoku.co.jp/special/spe1192/20180218_06.html

 平昌冬季五輪第9日の17日、フィギュアスケートの男子で羽生結弦(23)=ANA、宮城・東北高出=が66年ぶりの2連覇を達成した。

 故障した右足首の状態は今も良くないことを認める。焦りと不安。常人では考えられない壁を乗り越えた。その強靱(きょうじん)な精神力はどこから来るのか。
 言葉が大きな武器だ。
 「楽しい」。平昌入りしてから、自分も周囲も暗示に掛けるように繰り返してきた。どんな発言をしたらどんな気持ちになるか。過去のインタビューで研究するという。言葉は緻密に計算されている。
 優勝が決まると、控室で泣いた。泣き過ぎて目が腫れていた。「とにかく勝ちたかった」。全てが終わり、言葉のよろいを脱ぎ捨て、少し心を開いた。
 4回転ループを避け、無難とも取れる構成で勝った。「ループを跳びたい、跳びたくないという以前に、勝たないと意味がない」。外野がいくら美化しようが、人間羽生が求めるのは結果でしかなかった。
 フィギュアスケートはスポーツか芸術か。目的は勝利か理想の演技の追求か。羽生はアスリートだ。求道者ではなく、勝負師だ。
 「勝ちたいから」。仙台で練習していた頃、羽生は競技を続ける理由をこう語っている。生々しいほど勝利を求める。きゃしゃな体には似つかわしくない、人間らしい性(さが)がある。同じ金メダリストでも荒川静香(宮城・東北高-早大出)が自分の理想を求めたのに対し、羽生はいつも他者を見てきた。
 ソチはパトリック・チャン(カナダ)の背中を追った。平昌は若手が伸びて群雄割拠となった。「4回転の種類を増やしたのは、ボーヤン(金博洋)選手がルッツを跳んだから。宇野選手も出てきて、うかうかしていられないと思った」
 ライバルとの競争が自分の力をどこまでも押し上げてきた。だからこう言う。
 「僕は時代に恵まれたスケーターだと思っている」
 3連覇を狙うのか。「今は次について考えていない」と断ってから続けた。
 「甘くはない。4年間でレベルが上がり何回も置いていかれた。頼もしい後輩もいる。もうちょっと続けるとは思うが、滑りながら決めたい」
 少なくとも今この瞬間は、一息ついた表情に見えた。(平昌=佐藤夏樹)

★★★

<平昌五輪>羽生選手連覇 被災地に元気、復興相が祝福
kahoku 2018年02月18日日曜日
https://www.kahoku.co.jp/special/spe1192/20180218_07.html

 平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で羽生結弦が五輪2連覇を達成したことについて、吉野正芳復興相は17日、東京都内で取材に応じ、「宮城県出身ですから、被災地に大きな元気を頂いた」と述べた。
 吉野氏は「7年前、古里が東日本大震災に遭って練習を続けることがいいのか悪いのか、迷った時期があったと思うが、前回のソチで金メダルを取った。今回もけがを押しての金メダル。快挙に祝福を送りたい」とたたえた。

★★★

羽生、歴史的金1号!「勝たないと意味ない」当日朝に4回転ループ回避決断
2018年2月18日 05:30
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/18/kiji/20180218s00079000161000c.html

 そして、羽生が伝説になった――。男子フリーは17日、江陵アイスアリーナで行われ、ショートプログラム(SP)1位の羽生結弦(23=ANA)はフリー2位の206・17点をマーク。合計317・85点で男子シングルでは66年ぶりとなる五輪2連覇を達成した。昨年11月の右足首捻挫の重症で、リンクから離れること約3カ月。ぶっつけで挑んだ大舞台で、4つの4回転ジャンプを跳ぶ気迫の滑りを披露。この金メダルが14年ソチに続く五輪2大会連続の日本勢第1号となるとともに、冬季五輪史上1000個目という節目になった。SP3位の宇野昌磨(20=トヨタ自動車)が合計306・90点で銀メダルを獲得し、日本勢がワンツーフィニッシュを飾った。

 王者は勝利を確信して、右手を突き上げた。66年間誰もたどりつけなかった歴史の扉を、こじ開けた。

 「ヤッター!」

 魂の雄叫びを響かせると、氷上にしゃがみこんで、激闘に耐え抜いた右足首をさすった。最終滑走者の演技が終わって順位が確定すると、「スケートができなくなるんじゃないかと思う日々が続いた。ここまで来るのに本当に大変だった」と大粒の涙をこぼした。

 冒頭の4回転サルコーを美しく決めた。直前の6分間練習で4本中1本しか決まらず不安を抱えていたジャンプでGOE(出来栄え評価)最高の3点の加点をもらうと、テンポよくジャンプを決めた。4本目の4回転となるトーループは着氷が乱れたが、回りきった。最終8本目の3回転ルッツもバランスを崩しながら踏ん張った。韓国入り後の公式練習では一度も8つのジャンプを入れては滑らず、足の状態やスタミナが不安視された中で、一度も転ばず、回転も抜かずに全てのジャンプを跳びきった。

 4回転ループ回避を決断したのはこの日の朝。安全策を嫌う男が「勝たないと意味がないと思っていた。この結果が人生につきまとう。大事に大事に結果を取りにいきました」と言った。勝負に徹する覚悟さえ決めれば、あとは全身全霊を演技に注ぐだけだった。

 19歳での戴冠から4年間は「ケガばっかり」だった。14年11月の中国杯では直前の練習で、中国選手と激突し、頭と顎から流血しながらも強行出場した。腹痛で「尿膜管遺残症」の手術も受けた。16年には左足甲も痛めた。そして五輪まで3カ月に迫った昨年11月のNHK杯の公式練習で、右足首を捻挫した。

 どんなに苦しいことが続いても、忘れることのない記憶がある。11年3月11日。故郷・仙台のリンクにいた羽生は、壁が崩れ、破裂した水道管から水があふれ出す中、スケート靴を履いたまま外へ逃げた。避難所で母、姉と家族3人で4日間過ごした。「あれ以上に悲しいこと、苦しいことは今でもない。乗り越えるきっかけになる」。ソチ五輪後、メダルの報告で訪れた被災地の人たちの笑顔が脳裏に焼き付いている。「また笑顔になってもらえたらいいな」。遠くトロントで生活していても、故郷はいつも心の支えだった。

 ケガする直前に「劇的に勝ちたい」と言っていた。大ケガを乗り越えての復活の2連覇に、羽生は「漫画の主人公でも出来過ぎなくらいの設定」とはにかんだ。表彰式を終え、こう話した。

 「自分の人生史上、一番、本当に一番幸せな瞬間を過ごさせていただいています」

 五輪史に名を刻んだ「羽生結弦」はどんな劇画よりも熱くて、格好良くて、面白い。

★★★

羽生、世界選手権は欠場の可能性「もうちょっと考えたい」
2018年2月18日 05:40
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/18/kiji/20180218s00079000154000c.html

 羽生が代表に選ばれている世界選手権(3月21日開幕、イタリア・ミラノ)を欠場する可能性が出てきた。

 競技後の会見で、「(出場は)まだ分からない。右足のケガがそんなに良くはないと思っている。今回かなり無理させてしまった。もうちょっと考えたい」と話した。4年前はソチ五輪を制した後、埼玉で開催された世界選手権でも金メダルを獲得した。

★★★

冒頭でループ外しサルコーで勝ちにいった/小塚崇彦
nikkan 2018年2月18日9時4分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/column/analyst/news/201802180000156.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日◇男子フリー

 ショートプログラム(SP)で首位の羽生結弦(23=ANA)が、フリーで206・17点をマークし、合計317・85点で14年ソチ五輪に続き、金メダルを獲得した。

   ◇   ◇

 羽生は自分のやるべきことを1つ1つ丁寧にやっている印象を受けた。冒頭の4回転ジャンプは難度が高いループではなく、サルコーにしてきた。体調を考慮しての選択だが、決して攻めていないわけではない。

 野球で大振りでホームランを狙うよりも、勝利を考えてバントをする場面がある。それは1人のバッターだけ見れば消極的な選択に映るかもしれないが、得点を入れることを考えれば攻めていると言える。ループを入れることは攻めの「構成」だが、外して総合的な“得点”を稼ぐことを狙うのは、攻めの「姿勢」だ。SPでは「五輪を知っている」と発言した。そこは勝つための場所。だから冷静な選択ができた。最後は足が止まりかけていた。体力面の不安はあったが、うまく切り抜けた。

 宇野は最初のジャンプの転倒で体力的にも精神的にもきつくなったが、その時に笑えたと聞いた。吹っ切れたのだろう。自分が納得する練習が出来たからこそ、混乱せずに笑え、面白いと感じられたのでは。余裕というより、やるべきことをやった人しか得られない2段ほど上の心境だと思う。

 大会全体では、4回転が回数も種類も驚異的に増えた。羽生より下の世代の10代選手がフリーで5本、6本を跳ぶ。非常にレベルが高いが、同時に速い進歩はケガの危険もはらむ。国際スケート連盟(ISU)は抑制の意味も込めて、基礎点を下げる検討をしているが、僕は回数制限をすべきだと思う。例えば総ジャンプの半分までにすれば、高騰する技術点と表現面を評価する演技構成点のバランスは取れる。選手のキャラクターや演技のストーリー性などをもっと掘り下げた選手が出てきてほしい。表彰台に上がった2人の日本選手は特に個性があった。

 最後に羽生には今後、現役の継続はもちろん、金メダルを取るまでの経験を後輩に伝えてほしい。ピークの合わせ方、普段の練習方法、心理的アプローチなど、次世代に授ける役割を期待したい。(10年バンクーバー五輪代表、11年世界選手権銀メダリスト)

★★★

50%が技術、あとは気力でここまで来た/羽生の恩師
nikkan 2018年2月18日9時6分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802180000149.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日◇男子フリー

 ショートプログラム(SP)で首位の羽生結弦(23=ANA)が、フリーで206・17点をマークし、合計317・85点で14年ソチ五輪に続き、金メダルを獲得した。

<羽生の恩師 都築章一郎氏(80)手記>

 ユヅに感謝を伝えたい。元コーチとしては、世界一になり、フィギュアスケートの魅力を世界に伝えてくれていることがうれしい。2つのオーバーターンがあったが、後は言うことなし。ここまで苦しんでやってきて、それなりの状態には戻したが体は万全ではなかっただろう。それでも、集中して演技をやってくれた。感無量です。

 私が指導していた小学生の頃は飽き性だったんです。集中力が5分。自分が気に食わないと長く氷にいられない。そういう点ではコーチの方が努力しました。仙台の同じリンクで、本田とか荒川とか一緒に練習していました。そういうスケーターが五輪チャンピオンになった、世界チャンピオンになった、そういう環境の中で育ったのが大きかったと思います。

 あの子は、50%が技術、あとは気力でここまで勝ってきたように思います。小さい時に、後にジャンプを多く跳ぶようになることを見据えて、体を鍛えました。でも、今はあれだけジャンプを跳ぶ中で、体が耐えられるか。ジャンプはイメージをつくってあげればすぐに跳べた。それは今でも一緒だと思います。

 未知の世界を切り開くための努力を彼は惜しまない。彼がこれまで成し遂げてきたことは、スポーツの領域を超えている。もうちょっとスケートを続けてくれると思うが、その後はコーチなどではなく、誰にもできないスポーツ界にとどまらない役割を果たしてほしいと思っています。

 ◆城田憲子ANA監督の話 NHK杯のあのけがは普通のけがじゃなかった。お正月が明けた時にやっと立ち直って滑りを見てた時に、これならいける、と思った。それから彼はかなり苦労した。不屈の精神力、周りのサポート、それがみんな1つとなったから、この日を迎えられた。家族の支え、特にお母さんが結弦くんを毎日ケアしたことが、一番大きかったと思う。

 

★★★

フィギュアの王様完全復活-世界各国のメディア驚き
nikkan 2018年2月18日9時12分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802180000133.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日◇男子フリー

 ショートプログラム(SP)で首位の羽生結弦(23=ANA)が、フリーで206・17点をマークし、合計317・85点で14年ソチ五輪に続き、金メダルを獲得した。男子の連覇は実に66年ぶりで、日本人として冬季の個人種目での連覇は初の快挙。

 羽生の優勝に世界が称賛した。各国メディアは「フィギュアの王様が完全復活」(韓国・聯合ニュース)などと大きく報じた。「日本のスーパースターが66年ぶりに五輪2連覇を達成」。中国メディアは、羽生選手を「歴史に名を残した」とたたえた。国営ロシア通信は「日本の神。フィギュアスケーター羽生が金」と報道。かつて浅田真央さんを指導したタチアナ・タラソワ氏はロシアのテレビ生中継で解説し、羽生がジャンプの着氷で転倒せずに持ちこたえるたびに「立て」と声を送り、演技を終えると「1位だ。美しい」と称賛した。英BBC放送は「歴史的」な快挙と報じた。

★★★

羽生結弦の異次元の先にあるもの
nikkan 2018年2月18日10時6分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/column/hyakkei/news/201802180000287.html

 羽生結弦の金メダルの演技は、30年にも及ぶ4回転時代のフィギュアスケートの完成形なのだと思った。静かで優雅な流れの中、よどみなく、高くて美しい4回転ジャンプを何度も決めた。顔にも体にも力みがなく、まるで演技全体が芸術作品のようで、この競技が過酷なスポーツであることを忘れさせた。

 91年3月にドイツのミュンヘンで行われた世界選手権で、88年に初めて4回転を成功させたブラウニング(カナダ)を取材した。当時はバレリーナのように優雅に舞うペトレンコ(ウクライナ)との2強時代。SP2位のブラウニングがフリーでペトレンコを逆転して3連覇を決めた時、隣のドイツ人記者がノートを机に放り投げて抗議したのを思い出す。

 4回転登場以来、フィギュアスケートは芸術か競技かの議論が過熱し、ずっと途切れることはなかった。10年バンクーバー大会では、4回転を跳ばずに優勝したライザチェック(米国)に、銀メダルのプルシェンコ(ロシア)が「この種目はアイスダンスに名前を変えなければならない」とかみついた。

 そんな論争が過去のものと思えるほど、羽生はジャンプと芸術的なスケーティングを見事なまでに融合させた。フリーの演技終了後、あのプルシェンコが「ユヅルを誇りに思う。なんて王者なんだ」というコメントをインスタグラムに投稿した。それが私はうれしかった。

 羽生は15年に世界最高得点を連発したプログラム「SEIMEI」を再び選曲した。フィギュア界では同じ曲を長く使い続けると新鮮味が薄れ、思い切った挑戦もできなくなるため、シーズンごとにプログラムを変える選手が多い。しかし、彼はあえて慣れ親しんだプログラムに丹念にノミを入れ、細かいところまで磨き抜いた。それも異次元といわれる演技の要因だろう。今後、この手法が主流になるかもしれない。

 ブラウニングが4回転トウループを初めて着氷させた後、次に難度の高いサルコウが成功するまで9年の時間を要した。しかし、ループ、フリップ、ルッツはすべて14年ソチ大会後に成功している。平昌大会では4回転をSPで18人が成功させ、ソチ大会では1人もいなかった2種類を跳んだ選手が9人に激増。フリーではネイサン・チェン(米国)が5種類を成功させた。この4年間ほど、短期間にジャンプが進化した例はない。その中心にいたのがループを初めて成功させた羽生だった。

 五輪2大会連続金メダルという偉業は一方で、新たな時代到来をさらに加速させるだろう。4回転を芸術に融和させた羽生を超えるには、4回転半、さらには5回転のジャンプが必要になるからだ。体への負担はさらに大きくなる。そして、芸術との乖離(かいり)も再び生じるに違いない。羽生は「もうちょっと滑ると思う」と現役続行を表明した。異次元の先に何があるのか。今は想像ができない。【首藤正徳】

★★★

羽生、復活劇呼んだ“心技体”3つのポイント 異例選曲、進化4回転、食生活改善
2018年2月18日 10:10
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/02/18/kiji/20180217s00079000677000c.html

 鮮やかな復活劇で五輪史に残る連覇を達成した羽生には、緻密な戦略と少しの運があった。勝利の鍵となった“心・技・体”3つのポイントとは――。

 ◎異例の選曲 慣れたプログラムで高い演技点

 羽生が今季選んだSP「バラード第1番」とフリー「SEIMEI」は、いずれも2季前のプログラム。異例の選曲だった。ANAの城田憲子監督には「(五輪シーズンは)4年間で一番いい作品をやるべき」という考えがある。

 城田監督が日本スケート連盟の強化部長を務めていた06年トリノ五輪。荒川静香にシーズン途中でフリーの曲を以前の「トゥーランドット」に変更させ、金メダルに導いた経験があった。新鮮味がないことが評価に影響する懸念もあったが、羽生も「滑っていて心地いい。自分でいられるプログラム」と迷いはなかった。

 羽生の狙いは「新しい曲はあれやってこれやってと難しい。このシーズンにそんな時間はない。スタートラインを変える」と完成度を高めて、いい演技点を引き出すことだった。本来は試合で滑り込んでプログラムの完成度を高めるが、ケガを負った今季はできなかった。しかし、今季3試合目の五輪でも全体トップの演技点をマーク。慣れ親しんだ選曲が、心を平静に保ち、窮地を救う鍵となった。

 ◎進化4回転 幼い頃から多種類ジャンプ意識

 14年ソチは4回転ジャンプSP1本、フリー2本で制した羽生は平昌にSP2本、フリー4本で挑んだ。右足首の故障のため、当初目指していたフリー5本からは減らしたが、4回転ジャンプ技術の進歩が連覇につながった。

 多種類の4回転ジャンプを駆使する若手が台頭する中、羽生も16年に世界で初めて4回転ループに成功。現在は4種類の4回転ジャンプを跳べる。原点は小2〜高1まで仙台と横浜で指導を受けた都築章一郎コーチの教えだ。77年世界選手権銅メダルの佐野稔を指導し、世界で初めて5種類の3回転ジャンプ成功に導いた同コーチは、幼い頃から「将来は4回転の時代だよ。全種類を跳ぶんだよ」とイメージさせた。

 4回転はリスクも伴う。同コーチは「(NHK杯の公式練習中では)十分に跳ぶ体勢をつくる前に跳んじゃった。ルッツを早く披露したいという気持ちが強すぎた気がします。でもその挑戦する気持ちが成長につながっている。それが彼の武器」と見守る。羽生は昨夏、同コーチに「(4回転半が)できそうな感じになりつつある」と楽しそうに語ったという。次なる挑戦は史上初のクワッドアクセルだ。

 ◎食生活改善 量やバランス見直し筋肉量UP

 4回転ジャンプの本数が増え、よりハードになったプログラムに対応するために、羽生は体づくりも見直した。

 「筋量が減ると、ちょっと後半持ちにくい。食事の量を頑張って増やした」。以前は痩せやすかったが、味の素のサポートを受けて食に対する意識を変えた。体重と体脂肪率、体調、疲労度、練習時間などを毎日チェック。体重を落とさないようにタンパク質を取れるスープや、ナッツ、ヨーグルトなどを夜食としてこまめに取った。大会中も鍋料理などバランスのいい食事を心掛けた。

 以前は食が細かったが、拠点のトロントではお気に入りの日本食料理店でボリュームのあるカルビや寿司などをたいらげるようにもなった。JOC(日本オリンピック委員会)の日本選手団プロフィルは14年ソチの1メートル71、52キロから1メートル72、57キロになった。お尻や太腿は確実にひとまわり成長。たくましくなったアスリート体形で、4回転ジャンプ4本のハードなフリーを演じきった。

★★★

羽生結弦「3連覇は史上初になるのかな」あるぞ北京
nikkan 2018年2月18日11時58分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802180000163.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日◇男子フリー

 あるぞ、北京で3連覇-。フィギュアスケート男子の羽生結弦(23=ANA)が、66年ぶりの五輪連覇を達成した。メダリスト会見では22年北京五輪(ペキンオリンピック)について質問されて態度を保留した。一方で「3連覇は史上初かな」。幼少期の恩師、都築章一郎コーチ(80)にはアクセルを含めた4回転ジャンプ全制覇を約束している。史上初の4回転半ジャンプに挑戦する姿勢が、北京五輪でのV3につながる可能性がある。

 羽生は、27歳で迎える北京五輪について聞かれて、視線を宙に向けた。少し考えてから「今は特に次の五輪は考えてないですし、足首がよくならないと。完璧に治すことを考えています」と慎重に口にした。その上で、こう言葉を続けた。

 「(男子の五輪)3連覇は史上初になるのかな」

 羽生は「史上初」にこだわりを持っている。歴代世界最高得点を保持して、4回転ループも史上初の成功だった。そんな23歳が口にした「3連覇は史上初」は実際には達成者はいるが、北京への意欲をかきたてる理由になる。

 出場すれば、3度目五輪となる北京。銀メダルの宇野から「(羽生が注目されて)久しぶりにプレッシャーを浴びなくて楽だった。もうしばらく楽をさせてほしいと思います」とジョーク交じりでお願いされた。「まじかー」と天を仰ぐ、その顔は笑っていた。

 北京行きは保留したが、まだやり残しはある。五輪を連覇したこの日も「小さいころから描いた夢の、やっと中間点にきている」と口にした。それは幼少期に恩師と交わした約束だ。

 小学校低学年のころ、都築コーチと練習前に近所のトラックを約1時間、並んで走った。走ることは嫌いだった。息が切れ、視界がゆがむ中で、呪文のように同じ言葉を聞いた。「4回転全種類を跳ぶんだよ」。

 五輪シーズン前の昨夏、羽生は同コーチに言った。

 「先生、あと3年待ってください」

 「うん、わかったよ」

 20年夏までに4回転全種類制覇の約束をかなえる。それは人類が誰も実現していない4回転半ジャンプも含まれる。さらに都築コーチの「これからは5回転の時代だよ」という言葉に「はい」と力強く返した。

 羽生の4回転ジャンプは、フリップ、アクセルを残している。2種類に成功するまで2シーズンかかる計算だ。計画通りにクリアすれば、その次は20-21年でプレ五輪シーズンになる。

 3連覇について「甘くないのは知っている。(ソチ五輪後の)4年で周囲のレベルが上がった。もうちょっと滑ると思うけど。皆と滑りながらいろいろ考えていけたら」と言った。恩師と約束した4回転制覇の先にV3がかかる北京五輪が待っている。【益田一弘】

★★★

羽生結弦4年前と違う「とらなきゃいけない使命感」
nikkan 2018年2月18日17時59分
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802180000134.html

<ピョンチャン五輪:フィギュアスケート>◇17日◇男子フリー

 記録と記憶に残る奇跡の連覇を成し遂げた。ショートプログラム(SP)で首位の羽生結弦(23=ANA)が、フリーで206・17点をマークし、合計317・85点で14年ソチ五輪に続き、金メダルを獲得した。4回転ジャンプを4本跳び、最後のトーループ以外は軽やかに着氷。昨年11月に右足首の靱帯(じんたい)を損傷するアクシデントに見舞われ、違和感を残しながらも、SPに続き圧倒的な演技を披露した。男子の連覇は実に66年ぶりで、日本人として冬季の個人種目での連覇は初の快挙。1924年に開催された第1回シャモニー五輪(フランス)から数え、節目となる冬季五輪1000個目の金メダルとなった。数々の試練を乗り越え、羽生が伝説のスケーターになった。

 羽生は勝利を確信して、人さし指を天に突き上げた。滑り終えて勝てるか不安が頭をよぎった4年前とは違う。氷に向かって「勝ったぁ」と何度も叫んだ。優勝が決まると、たちまち涙があふれた。ケガから3カ月ぶり、ぶっつけ本番でつかんだ66年ぶりの連覇。「漫画の主人公にしては出来すぎ」と劇的な金メダルつかんだ。

 痛みの残る右足首が勝利を支えた。ジャンプを跳び始めたのはわずか3週間前。それでも「4回転サルコーもトーループもアクセルも、トリプルジャンプすべて、何年間もやってきたので覚えていてくれました」。冒頭の4回転サルコー、続く4回転トーループも高く、流れるように成功。終盤の4回転トーループで乱れ、連続ジャンプに出来なかったが、そこまでほぼ完璧だった。

 迎える最後のジャンプは3回転ルッツ。11月のNHK杯でけがにつながったのが4回転ルッツだった。「跳ぶのが一番大変」と転倒時の嫌なイメージがよみがえる。いったん体勢は崩れたが、右足でこらえた。滑り終えると、最後までもってくれた右足首を「右足に感謝したい」と優しくさすった。

 挑戦者だった4年前とは違う。「とらなきゃいけないという使命感があった」。SPで2位フェルナンデスと4・10点差。冒頭の4回転は昨季に決めた4回転ループでも今季初めて決めた4回転ルッツでもなく、得意の4回転サルコーにすると、朝に決めた。「勝たないと意味がない。何より、これからの人生でずっとつきまとう結果なので、大事に大事に結果を取りに行きました」。

 ディック・バトン氏以来66年ぶりの連覇へ。昨夏、同氏にもらい、部屋に飾る手紙には「リラックスして、五輪を楽しめ」と書いてある。4年前と同じ悔いの残る五輪にはしたくないと、勝てる構成を選んだ。

 この金メダルは「いろんなものを犠牲にして、がんばってきたごほうび」と思えた。14年ソチ五輪後、環境は変わった。「金メダリスト羽生結弦」として、窮屈な日々が待っていた。地元仙台でもほぼ外出はしない。友達と遊ぶこともない。外に出る時は大きなマスクで顔の半分を隠した。それは異国の地カナダ・トロントでも同じだった。試合ではトイレの中までボディーガードがついた。空港では混乱を避けるために通常の出入り口を使わない。常に緊張して、どこにいても気を抜けなかった。

 「時々、芸能人とかアイドルみたいな感じになって、違うなあって思うこともある」。無心でいられるのはリンクだけだった。「スケートって場所って自分のつらいこととか、逃げたいことを忘れられることのできる場所でもある。そういった意味ではスケートに頼りっきり。スケートがないと心がつぶれそうなこともある」。

 スケートをただ懸命にやっているだけ。それでも周囲の目は違った。10年世界ジュニア選手権で優勝した直後に東北高校に入学すると、羽生の席は教室前方のドアのそば。休み時間になると同級生、上級生がひっきりなしに教室に訪れた。サインを求められれば、1人1人に快く応じた。ある日、甲子園常連の野球部の上級生から頼まれ、いつものようにサインを書くと、突然バンという大きな音が響いた。背後から「調子にのってんなよ!」。教室のごみ箱に、サインを書いたばかりの国語辞書が捨てられていた。

 美しい見た目の半面、服の下には丸太のような筋肉をまとう。それだけフィギュアは過酷なスポーツだが、そう理解されないこともあった。フィギュアをもっと高めたい。その思いが、体を突き動かした。追われる立場の金メダリストが、昨季、誰も挑戦していない4回転ループに挑戦。さらに今季、自身4種目の4回転となるルッツに挑んだ。王者がハードルを上げれば、挑戦者のレベルも上がる。その競争の先頭を走ってきた。この日「僕が引き上げてきたわけではない」と謙遜した。だが、フリーで羽生を上回った米国のチェンは「偉大なスケーターがこのゲームを変えた」とたたえた。

 初めてスケート靴をはいて、氷に立ったのは4歳の春。助走をつけてリンクに入り、走って数歩で頭から豪快に転んだ。すぐに立ち上がり、何もなかったように再び走った。あれから19年。挑戦を恐れず、けがやアクシデントに襲われても、すぐ立ち上がる。ソチからの4年間はその繰り返し。「ケガばっかりだった」と苦笑いで振り返った。復活はその経験があったから。変わらぬスケートへの愛情で、再び大きな歴史を刻んだ。【高場泉穂】

★★★

【七色コラム】川口能活「頂点守った羽生選手…連覇は素晴らしい」
2018年2月24日10時0分 スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180224-OHT1T50024.html

 羽生結弦選手、小平奈緒選手ら本命とされていた選手が期待通り金メダルに輝いた。本当に素晴らしいことだと思います。

 (96年の)アトランタ五輪は、僕にとって初めての世界大会でした。それまでアジアの壁を越えられない時代が続いたので、本大会行きの切符を手にした瞬間、世界の強豪と対戦できるという喜びが爆発しました。一方で、初戦の相手がブラジルだったので大敗の恐怖もありました。5、6点取られてもおかしくない。100%力を出しても試合にならないかもしれない。でも僕らは挑戦者だったので、重圧は感じませんでした。「無」になってぶつかれたからこそ良い結果(1○0)が出たのだと思います。

 羽生選手は王者として挑み、再び王者になりました。彼が現地の空港に到着した時のインタビューを見て、金メダルを取ると確信しました。国民の期待を背負いつつ、過度な緊張やストレスを感じさせない表情。負傷後は表舞台に登場せず、回復に専念し本番に備えた。スケート連盟も含めたマネジメントが功を奏したのかなとも思います。

 僕はJ1、J2、J3、そして日本代表と経験してきましたが、今でも試合は緊張します。慣れた時点ですきが生まれている証拠だと思います。

 一番緊張した試合は(磐田に在籍した08年の)仙台とのJ1、J2入れ替え戦。勝てば残留、負ければ降格という大勝負。開始直後、シュートに反応してステップを踏んだら足が滑った。後にも先にも試合中に足が滑ったのは、あの1回だけ。それだけ緊張したし、試合前は生きた心地がしませんでした。何かを得るために勝つのではなく、何かを守るために勝つのは本当に難しいと体感しました。

 挑戦者としてメダルを狙う立場なら楽しめる人もいると思います。でも頂点を守る立場では、楽しむことなんてできないはず。だからこそ羽生選手の連覇は、歴史に残る偉業だと思います。(アトランタ五輪代表GK、W杯4大会出場)

 ◆川口 能活(かわぐち・よしかつ)1975年8月15日、静岡・富士市生まれ。42歳。清水商(現・清水桜が丘)3年で全国高校選手権優勝。94年に横浜Mに入団し、97年に日本代表デビュー。ポーツマス(イングランド)、ノアシェラン(デンマーク)を経て2005年に磐田に移籍。J2岐阜を経て、16年にJ3相模原へ移籍。国際Aマッチ116試合出場。180センチ、77キロ。家族は妻と1男1女。

★★★